2007年10月アーカイブ

 最近、おっさんと話していないなと思っていたが、家の前を通って納得した。
 葬式をやっていたのだ。直感で、あのおっさんが死んだのだと理解できた。
 ぼくは喪服を着た人びとから目をそらし、正面だけを凝視して、急ぎ足で通りすぎた。
 角を曲がったあと、首をすくめてうしろをふり返る。おっさんの霊がついてきてやしないかと心配したが、暗い道がのびているだけで、おばけのたぐいどころかひとっこひとりいなかった。
 おっさんにたいして、うしろめたい思いがあるわけではない。ぼくは子供のころから霊感が強く、幽霊にも好かれるようなので、もしやと心配しただけだ。
 徒歩で出社しているぼくは、ほぼ毎日といっていいくらい、あのおっさんと朝の挨拶をかわしていた。決まった時間に家の前に立ち、微笑みながらたたずんでいるおっさんは、だれかがそばを通るたび、「おはよう」と会話の口火をきるのだった。
 定年退職で手持ち無沙汰になり、出社時間にだれかれともなく挨拶するようになったおっさん。
 ぼくはそう理解していた。柔和な雰囲気を漂わせているだけでなく、会話のなかに折り目正しさがうかがえたので、きっと部下には慕われていただろう。
 おっさんの葬式を目撃してから数日は、別の道を通って出社した。遠回りになってしまうが、半透明のおっさんがいつも通りに挨拶してくるような気がして、脚が自然と別の道を選んでいた。
 だが、一週間もたつと、さすがに恐怖も薄らぎ、通いなれた道で出社することにした。
 それでも、首をギプスで固定したみたいに真正面だけを見すえて、おっさんの家を通りすぎる。
 なにもおこらなかった。「おはよう」の声もない。
 幽霊に遭遇しなくてすみ、ぼくはほっとしながらも、寂しさを感じていた。
 脚をとめてふりむいた。家の前にはやはりなにもいなかった。
 おっさんのいたのと同じ場所に立って、同じ方向をむいてしまったのは、だから寂しさを紛らわすためだったかもしれない。
 ぼくは驚きで息を飲んでしまった。霊感が強いせいで、幽霊に遭遇したのは一度や二度ではないが、こんなのは初めてだった。
 道を挟んだ向こう側に、全裸の女が立っていたのだ。半透明なのは幽霊だからだろうが、彼女の肉感的な体に、そうと知りつつ生唾を飲み込んでしまった。
 全裸幽霊は隣り合った家の隙間にいた。左右の壁に肩をこすりつけるようにすれば、ひとひとりがなんとか通れそうなほど細い路地である。
 彼女は顔に笑顔を貼りつけたまま、狭い場所にもかかわらず、器用に踵を返した。おおきな、しかし形のいいヒップをふりながら、しゃなりしゃなりと奥へむかっていく。行きどまりにつくと、右へと曲がった。幽霊特有の能力で壁をすりぬけたわけではなく、路地自体が右に折れているらしい。
 ぼくは上半身をひねって、背後を確認した。全裸に誘われて前に出ていたので、さっきまで立っていた位置が視界にはいってくる。
 おっさんが生前立っていた場所だ。手持ち無沙汰で立っているものだと思い込んでいたが、もしかしたら、女性の全裸幽霊を眺めていただけなのかもしれない。「おはよう」という挨拶も、そうやって視線を自分に集めて、路地のほうへ目をむけさせないためか。
「独占欲」
 ふいに口をついてでた言葉だった。「老いてなお盛なり」とまで声にすれば、「まだ老いたつもりはない」と、おっさんが化けてでてくるかもしれない。
 ぼくは左右を見回して、だれかいやしないか確認した。細い路地にはいる直前に、もう一度、周囲をうかがった。だれかがいれば深追いをやめようと考えていたが、ひとっこひとりいなかった。


 両肩を壁にこすりながら、ぼくは路地の奥をにらんでいた。
 見上げれば、細い空をうかがえただろうが、視線を切るのはためらわれた。得体の知れないものが飛び出てきやしないかと用心しながら、奥をめざしていく。
 余人がいれば、不思議に思うかもしれない。葬式から視線をそらすほど霊を恐がっていたのに、どうして路地にはいったりしたのだろうかと。幽霊の裸に魅入られた、という理由を想像されるとしたらショックだ。もてる男ではないが、そこまで飢えてもいない。
 全裸幽霊に驚いたのは、すっぱだかだったからだけではない。なにも気配がしなかったのだ。
 この世のものではないから当然だといわれるかもしれないが、精霊のたぐいとは違い、幽霊が出現するときには、言葉にはできないなにかしらの気配が発生するのだ。ぼくにはわかる。その気配がなかったので、気になってあとを追っているのだった。
 くり返しになるが、けして色香にまどわされたわけではない。彼女いない暦は二十五年になるが、服を着ていないぐらいで、未知の存在にのこのこついていくほど、すけべではないのだ。
 路地が右に折れる手前で、ぼくは脚をとめた。曲がり角から、そうっと、顔を半分だけだす。下半身はうしろに引きぎみで、はたから見れば情けない姿だろう。
 曲がった道の先には、なにもなかったし、なにもいなかった。細い路地はまっすぐのびて、ブロック塀に突き当たっている。そこから左に曲がっているようだ。
 ぼくは来た道をかえりみた。
 逡巡は五秒ほどだったろうか。脚が奥へ踏み出した。
 道が折れるたびに、なにかいるかもしれないと恐々確認しながら、へっぴり腰で進んでいく。
 そうして、何度か曲がり、そこへ辿りついた。東西南北、四方向を家に囲まれた狭い土地だった。ひろさは二畳ほどだろうか。地図にも載っていなさそうな、小さな空き地である。土地の権利関係がどうなっているのか不思議だった。まわりを囲んでいる家主のだれかが、所有しているのだろうか。
 その空き地には、雑誌がうず高く積もって小山を作っていた。高さは身長を越えるほどもあるだろうか。
 一冊、手にとってみた。表紙には、布地の少ない水着を着た女性が、官能的なポーズをとっている。ページをめくれば、全裸の女性ばかりだった。ほかの雑誌も同様で、服を着ている女性はひとりもいなかった。
 いわゆるエロ本である。
 東側にある家の二階で、カーテンが揺れるのが見えた。
 ぼくは路地に引き返し、かがんで身をひそめた。
 二階の窓がひらき、中学生くらいのにきび面の男が顔をだした。
 なにをするのかと注視していると、彼は雑誌を数冊、窓外に放りだした。エロ本の山に、新たに積もる。
 なにが起こったのか。しばし考えをめぐらした末、ぼくは膝を打った。
 にきび面はエロ本の処分に困り、家の裏に捨てていたわけだ。ここならひと目につかないし、四軒のうちどの家から捨てられたのか判別がむずかしい。
 一冊二冊ならいい考えかもしれないが、さすがに小山になるほど捨てたのでは、いずれおおごとになろう。中学生という勢いのある年頃を考えても、度がすぎていた。
 カーテンが閉まったのを確認してから、ぼくはまた、エロ本山に近づいた。
 全裸の幽霊に誘われて待っていたのがこれでは、納得しがたかった。あの女性の出現は、なにを意味していたのか。
 手がかりの片鱗でもないかと期待し、適当なエロ本を手にとってページをひらいた。
 全裸の幽霊がそこにいた。半透明の体が小さくなっているが、形のいいヒップをふりふり、雑誌のなかでポーズをとっている。
 ぼくはあっけにとられて、口をポカンとあけるしかできなかった。
 全裸幽霊は魅力的な笑みを浮かべてから、紙ににじむようにして消えてしまった。あとには、下着姿の女がぼんやりと立っているグラビアが残るのみ。
 そこでようやっと、ぼくは気づけた。幽霊だとばかり思っていたが、その実、エロ本の精霊だったのだ、と。
 エロ本は見られてなんぼ。だれの目にもふれない場所に打ち捨てられるのは、本望ではないはずだ。だから、だれかの視線が欲しくて、エロ本の精が出現した。
 おっさんも知っていたにちがいない。エロ本の精は、半透明なこと以外、いたって魅力的な裸体なので、失くすのはおしいと思ったのだ。だから、このゴミの山を見逃している。
 ぼくも、おっさんにならおう。
 回れ右をしてきた道を引き返した。これから毎朝、決まった時間に路地の入り口を見つめるようになるだろう。

 ヤフーオークション事件顛末記1というWebページがある。

 サイト管理者の大西さんがPowerBook G3を盗まれ、なんとヤフーオークションに出品されていたという衝撃的な内容である。大西さんは愛機を取り戻そうと警察やヤフーに連絡をとるが、しかし……。

 ヤフーオークションを利用しているかた、利用を考える方にとって勉強になるサイトです。読み物としてもおもしろいですからオークションに興味がなくても、ぜひ読んでください。

 さて、ヤフーオークション事件顛末記で、ちょっぴり気になった点について。この記事の本題だ。

 顛末記の序盤で「中華系の窃盗団がからんでいるのではないか?」という指摘がある。紹介文で「読点が少ない」というのが根拠のひとつとなっている。

 わたしはあるときから読点をあまり打たないようにしている。場合によっては誤解をあたえかねないのかな、と少し不安になった。

 もちろん、読点だけで「中華系の窃盗団」と指摘されているわけではない。オークションの紹介文で「めだつ傷」と書くべき箇所が「めたつ傷」となっていたりして不自然な日本語が多いためだ(ほかにも理由があるが割愛)。

 でもね。日本人が書いていても不自然な日本語になる場合もあるのだ。悲しいかな(T_T) わたしも日本語には自信がない。記事を公開するときにはいっつもおっかなびっくりである。いつも気をつけているつもりだが「中華系の窃盗団」だと誤解されないように、さらに気をつけないといけないなと思う。そんな日曜日。

 産まれてこのかた「大盛り」を注文した経験がない。マクドナルドでLサイズのコーラを注文したことはあるが、あれは「大盛り」とはいわないだろう。

 バラエティ番組で大盛りメニューが紹介されていた。どんぶりモノもカレーもラーメンも器からあふれるほど盛られている。普通人なら1日かけても食べきれないくらいの量がある。

 どんぶりを例にだすと、まずごはんを山盛りにする。そのうえにキャベツ等の野菜が盛られる。この時点ですでに尋常な量ではなく1回では食べ切れなさそうだ。さらにそのうえに焼肉がのせられる。山になっているキャベツから焼肉がすべり落ちそうである。

 まだ終わりじゃない。さらにスライスされたトンカツがのる。のるというと語弊がある。正確にいうなら、キャベツの山によりかかっているだけだ。震度1の地震がくるだけでキャベツもろとも崩れかねない。続いて串カツが2本刺さり、再度キャベツが山と盛られ、から揚げ、ゆで卵、ハンバーグ、目玉焼き、野菜あげ、タコさんウインナーとトッピングされる。

 量は半端じゃないが、お値段はリーズナブルだった。普通盛りよりも数百円高いくらいだ。

「もうからない」
 と店主はいう。

 だが、わたしにとってはそんなことどうでもよかった。もっとも気になるのは量ではなく値段でもなく、文字通り山と盛られた料理の食べ方だ。

 山頂にチョコンと鎮座されているタコさんウインナーはともなくとして、ほかの料理に箸をつければバランスを崩しそうである。キャベツに刺さっている串カツなんて、手をふれるだけで崩壊のきっかけになりそうだ。

「どこからどうやって箸をつければいいのか?」

 まったくもって謎である。

 イルカの出産は夜におこなわれるため写真に残すのはむずかしいらしい。夜の水中。そうとう暗いだろう。なるほど、たしかに写真を撮るのは困難に思える。

 だが、イルカだってたまには昼間に産んでくれる。

 イルカの出産を鮮明にとらえた貴重な写真に赤ちゃんイルカ誕生の写真が掲載されている。ぜひごらんになっていただきたい。資料として貴重という以上に、写真を見ているとなんかなごんでくる。

 イルカの出産を撮影したカメラマンはLeandro Stanzani氏。Leandro Stanzani氏がたまたまイルカの出産に遭遇したわけではない。このかた、イルカの写真を14年間も撮りつづけているのだとか。

 14年間も撮りつづけて、イルカの出産をここまで鮮明に残せたのはこれが最初のようである。この記事の頭で「イルカだってたまには昼間に産んでくれる」と軽く書いてしまったが「たまには」どころではなかった。

 眠くて眠くてしょうがない。季節の変わり目はいつもこうだ。せっかくの休日のほとんどを寝てすごしてしまった。睡魔に負けて「Halo 3」をプレイしていないとはなんたる屈辱か。

 なかば寝ぼけながらブログの海をさまよっているとおもしろいエントリを見つけた。マジックミラーの見分け方だ。肝心の方法をさっそく引用しよう。

まず鏡がどのように設置されているか確認する。通常の鏡は壁に掛けてあるが、マジックミラーは壁の中に埋め込まれている。もし鏡の後ろに壁があるのならば、その鏡はおそらく通常の鏡だ。
明かりを消して懐中電灯やキーライトの光を鏡に近づける。もしそれがマジックミラーならば、反対側の部屋が照らされるだろう。
目を鏡に近づけ、手を双眼鏡のようにして目の周りを覆い、光を遮る暗いトンネルを作る。こうすることで、反対側の部屋はあなたの部屋よりも明るくなり、鏡の向こう側にあるものを見ることができる。
鏡の表面をノックしてみる。通常の鏡は壁の前に設置されているため、鈍い音を立てる。一方マジックミラーは、反対側にオープンスペースが存在するため、開放感のある、空洞のような残響音がする。

 残念ながら「こっそり」とは調べられそうにない。鏡の表面をノックしたり、照明を落としたりが、かろうじで使えるか。応用方法を考えなければなるまい。できればユニークな。

 マジックミラーの見分け方ではfingernailテストについても言及されている。これも引用。

爪などを鏡に押しつけて調べる方法だ。もし爪とその反射像の間に隙間が無ければ、その鏡はガラスの手前に反射膜をもつ表面鏡(first surface mirror)だということが分かる。表面鏡は極めて高価で通常の環境では利用されない。全てのマジックミラーは表面鏡だが、すべての表面鏡がマジックミラーというわけではない。

 鏡に指をふれたとき、こちらの指と向こうの指がくっついていないことには普段の生活でも気づく。なにやら隙間があるのだ。だが、この方法も鏡に顔を近づけなければならない。おまけに表面鏡だとわかっても、それがマジックミラーだという証明にはならないようだ。

 心の琴線にふれてくるのは「全てのマジックミラーは表面鏡」という点。マジックミラーの仕組み上そうなってしまうのだろう。だが、「全てのマジックミラーが表面鏡とはかぎらない」と仮定すると、ナニかがうまれてきそうである。

 コンサルティング会社のブライト・ウェイが「家庭でのPC使用状況、設定について」というアンケート結果を発表している。

「ブラウザの文字サイズ最大」が半数以上――家庭用PCを参照していただきたい。2007年9月13日と少々古い記事ではあるが、たいへん興味深い内容だ。もっとも強くひきつけられたのは「ブラウザの文字の大きさを最大に設定している人が過半数」という結果。

 どんなブラウザを使っていようとデフォルトの文字サイズが最大ってことはない。文字の大きさを最大に設定しているかたは、自分の意思で文字をおおきくしているのだ。

「ええっ!? うそっだあ~!」
 というのが、あなたの心の声ではないだろうか。

 疑問をもったあなた、もういちど当該記事を読んでいただきたい。流し読みせずにじっくりとだ。ひっかかりを覚えないだろうか?

 記事を一部引用してみる。

 コンサルティング会社のブライト・ウェイは9月7日、「家庭でのPCの使用状況、設定について」アンケート結果を発表した。調査期間は2007年8月1日から8月31日までで、同社が運営する子育て支援サイト「こそだて」で実施したもので、回答数は516人(男女比24:76)。

 もうおわかりいただけただろう。子育て支援サイト「こそだて」という限定したコミュニティ内でのアンケートなのだ。正確にいえば「子育て支援サイト『こそだて』でのPC使用状況、設定について」というアンケート結果となる。

 だから、このアンケート結果は無視してかまわない――といいたいわけではない。

 少なくとも「こそだて」に参加されているかたは文字のサイズをできるだけおおきくしているのだ。「こそだて」外にも「文字サイズをできるだけおおきくする派」がいても不思議ではない。

 もしかたしたら、わたしたちが気づいていないだけで、インターネット上では「文字サイズをできるだけおおきくする派」が多数を占めている可能性だってある。

 だが、安心してほしい。「文字サイズをできるだけおおきくする派」ほどの規模になると内部は一枚岩ではなかろう。きっとそう遠くない日、内部分裂をおこすはずだ。われわれがつけいる隙はそこにある。いまは地下にもぐって耐え忍んでほしい。喉は渇くし腹も減る。友軍から米の補給があり、あまりの空腹によく確認せずがっつく部下。「おい! この飯、色がついてるぞ!」「きっと赤飯だ!」「ばかやろう! 血だ! 補給してくれた兵士の流した血だ!」ぶはっと米を吐きだす部下――これってなんのドラマだったっけ? そもそもわたしはなにを書いているのだ? もう寝る。

 円天の情報を集めていて何回払いにしますか?という記事にたどりついた(この記事では円天やL&Gについて書かれていないが、ほかの記事に興味深い内容が多い。円天とL&Gに興味のあるかたは参照していただきたい)。

 今回興味をひかれたのは円天にではなく、クレジットカードの支払い方法について。
 記事の一部を引用しよう(引用文に句点がないのは原文ママ)。

最近、私は「2回で」って言う事にしてる 2回までは利息が付かないから、借りている期間お得なんですよね^^; 確かに家計簿をつける時には面倒だけれども、もう習慣になってしまったなぁ…例えレンタルビデオで200円の支払いの時でも「2回で」って言ってる自分に驚く事もあるが…(笑)

 ここでいう「2回で」というのはクレジットカードの支払い回数。当該記事で2回払いが存在することをはじめて知った。もちろん、ボーナス2回払いなら知っているが、記事の内容から察してボーナスとは関係なさそうだ。

 調べてみると、クレジットカード会社によっては2回払いがあるらしい。金利と手数料が無料のようだ。

 なるほど。購入する商品の額によっては、2回払いを利用できればうれしいケースもあるだろう。自分が自由に使える額が月に10万円として、20万の商品がいますぐほしい場合などだ。

 でも、中途半端感はぬぐえない。引用文にあるように、習慣になるほど2回払いを利用するものだろうか?

 いや、2回払いにかぎらない。分割払いを頻繁に利用すると、そもそも分割のメリットが消えるのではあるまいか? ちょっとピンとこない。勉強しなくてはなるまい。

 L&Gである。円天である。地上波のニュースでもとりあげられているので名前だけはご存知のかたも多いだろう。

 しかし、円天のシステムが複雑でよくわからないというかたもおられるだろう。そこで、わかりやすく「男性についているナニ」(以下ナニ)に置きかえて説明したい。

 円天とはなにか?

 ナニをL&Gにあずけるとナニの価値と同等の丸めたティッシュがいただける。この丸めたティッシュは会員間であれば通貨として使える。丸めたティッシュの加盟店もあり、丸めたティッシュで食料品や家電品、貴金属を購入できるのだ。加盟店のレジはさぞ臭かろう。

 丸めたティッシュは定期的にもらえるので使ってもなくらない。L&Gにあずけたナニは社員にしごかれているので、丸めたティッシュは増えているのだ。さらに、あずけたナニは元の状態で返してくれるので、丸めたティッシュで手にいれた商品は実質タダということになる。

 で、どうなるかというと、

 まさにウハウハ(死語)パラダイスである。
「円天はあるよ。ここにあるよ」

 だが、L&Gはナニをかえしてくれなくなってしまった。股間がスースーしてこころもとないじゃないか。

 ……。
 不真面目にいえばこの記事のようになるが、まじめな記事はそろそろ円天市場(L&G)について一言いっとくかを参照してくださいね。

 秀丸エディタで動作するマクロ「乱数マクロ」です。浮動小数点数バージョンの秀丸エディタであれば"Random"で乱数を作成できるようですが、ふつうの秀丸エディタではできないっぽいのでマクロをつくりました。

 乱数とはいってもしょせん擬似乱数です。Windowsが起動してからの経過時間から数値をひっぱってきているだけですから……。でも、それっぽくなっているはず。

 この「乱数マクロ」単体では使い道がないので、ほかのマクロから呼びだして使用します。適当な名前(random.mac等)で保存して使用してください。ほかのマクロから呼びだす場合は、あたりまえですが、不要な箇所を削除してからお使いください。

 ちなみに、秀丸エディタVer7.02で作成とテストをしています。ほかのバージョンでの動作がどうなるかは不明。Ver6.14以降の秀丸エディタなら「まあ大丈夫」だとは思いますが……。

 以下、乱数マクロでございます。


//■秀丸エディタの乱数マクロ

// 設定項目。希望する乱数の最小値と最大値へ変更してください
#min = 1; //乱数の最小値。1桁のみ対応
#max = 6; //乱数の最大値。1桁のみ対応


// 変数の定義。変更不可
#number = 0; //乱数マクロ実行結果
#rammax = #max - #min; //判定に使用する乱数の最大値
#tickcount = 0; //Windowsが起動してからの経過時間
#tc1 = #max + 1; //Windows経過時間の下一桁
#start = 0; //カウント開始時のWindows経過時間
#delay = 0; //遅延時間
#count = 0; //計算回数
#temp = 0;


// Windows経過時間が変化するまでの計算回数をカウントする処理
// ばらつきがかなりでるのでちょうどいい
#start = tickcount;
#tickcount = tickcount;

while (#start == #tickcount) {
#tickcount = tickcount;
#count = #count + 1;
}

#delay = #count * 9;


// 経過時間から数値を取得する(0~#rammax)
while (#tc1 > #rammax) {

//経過時間をすすませる
while (#temp < #delay) {
#temp = #temp + 1;
}

//経過時間の下一桁を取得
$tickcount = str(tickcount);
$tc1 = rightstr($tickcount,1);
#tc1 = val($tc1);

}

// 取得した数値が0~#rammaxのため#minをたして帳尻をあわせる
#number = #tc1 + #min;


//確認用
message "乱数マクロの結果は " + str(#number) + " です。";


endmacro;

 正直いいまして一部手抜きをしています^_^; #min と #max の値をチェックすべきなんですが、はしょっています。必ず1桁にして #min よりも #max がおおきくなるようにしてください。

 かっこいいぜ、アービター。
 頼りになるぜ、アービター。
 奇人!? 変人!? だからなに!?

 Xbox360で「Halo 3」をプレイ中です。われらがマスターチーフは「奇襲戦法と変装の名人。オレのような天才策略家でなけりゃあ百戦錬磨のつわものどものリーダーは務まらんよ」と自信満々。ちょっとAチームはいってるのはDVDを観たからだ。

 だがしかし、マスターチーフをあやつるわたしはちょっぴりFPS酔い。3D酔いといったほうが近いのかな。

 いままでFPSをプレイしていて酔ったことがなかったから、自分には耐性があるものだとばかり思い込んでいたのでショック。富士のF1GPを観戦にいっていたらバスのなかで「ゲーゲー」やっていたかもしれない。

 でも、ほんと不思議。なんで「Halo 3」だけ?

 首をひねっていたんですが、コレが理由じゃないかなというのを発見。

もうちょっと細かく言うと、「自分の脳内が右を向くと認識してから右を向いたと認識するまでの速度よりキャラクターが右を向く速度の方が速い」場合に起こると思っています。
 FPS酔いを克服する為により一部引用。

 この一文を読んだとき「コレだ!」と膝を打ちました。根拠? ないよそんなの。感覚的に一番納得できる解釈なんだ。

 PCだと、FPSやTPSをプレイするときにマウスの感度を設定するけど、ゲーム機の場合だとそこまでしない(というか、そもそも設定できないタイトルのほうが多いでしょう)。だから、ほかのFPSだと酔わないのに「Halo 3」だと酔う。「Halo 3」のときだけ酔ったミステリもこれで解決。

 そして、さすがは「Halo 3」。解決策があるのだ。FPS酔いを克服する為によりさらに引用しよう。

ありがたいことに「Halo3」には視点感度を調整する機能があります。

しかも調整画面では、早くするとプレイに支障がでるかもしれないってきちんと教えてくれます。
BUNGIEありがとうヽ(´ー`)ノ

デフォルトでは3になっていますが、これを2や1にすることで酔いにくくなるはずです。

「Halo 3」をプレイしていて酔うというかた、さっそく設定しましょう。

 できれば、ほかのタイトルでも調整機能あればいいんですけどね。調整機能をつけることなんて、そんなにむずかしくないと思うんだけれど……。

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