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円天たゆたう

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 円天という独自の通貨でワイドショーに名をとどろかせたエルアンドジー。そのエルアンドジーの波和二会長がブログを開設している。波和二会長のブログは円 天 /波 和二である(ちなみにBIGLOBEのウェブリブログが利用されている)。

 夢見がちな中学生の妄想かとうたがう内容だ。しかし、実際に何億円と集めた詐欺師が書いたというバックボーン込みで読むと、すこぶるおもしろい。痛い発言ばかりなので鼻で笑ってしまいそうになるが「すわ、詐欺師がひとをだますテクニックとはこれか!?」と深読みできる記述もある。ブログに書かれている内容はおおむね笑ってしまうが、なあに、それが詐欺師の手練手管なのだ。わたしが書くようなへたな小説より何倍も愉快である。

 ――ねんのために書いておくが、わたしは波和二会長のシンパでもないしエルアンドジーの社員でもない。あかり会員でもなければ友人知人にも会員はいない。まったく無関係の人間だ。もちろん円天をすすめているわけでもない。「欺術」よりもおもしろい読み物だと、ただそれだけをいいたかったのである。

 産まれてこのかた「大盛り」を注文した経験がない。マクドナルドでLサイズのコーラを注文したことはあるが、あれは「大盛り」とはいわないだろう。

 バラエティ番組で大盛りメニューが紹介されていた。どんぶりモノもカレーもラーメンも器からあふれるほど盛られている。普通人なら1日かけても食べきれないくらいの量がある。

 どんぶりを例にだすと、まずごはんを山盛りにする。そのうえにキャベツ等の野菜が盛られる。この時点ですでに尋常な量ではなく1回では食べ切れなさそうだ。さらにそのうえに焼肉がのせられる。山になっているキャベツから焼肉がすべり落ちそうである。

 まだ終わりじゃない。さらにスライスされたトンカツがのる。のるというと語弊がある。正確にいうなら、キャベツの山によりかかっているだけだ。震度1の地震がくるだけでキャベツもろとも崩れかねない。続いて串カツが2本刺さり、再度キャベツが山と盛られ、から揚げ、ゆで卵、ハンバーグ、目玉焼き、野菜あげ、タコさんウインナーとトッピングされる。

 量は半端じゃないが、お値段はリーズナブルだった。普通盛りよりも数百円高いくらいだ。

「もうからない」
 と店主はいう。

 だが、わたしにとってはそんなことどうでもよかった。もっとも気になるのは量ではなく値段でもなく、文字通り山と盛られた料理の食べ方だ。

 山頂にチョコンと鎮座されているタコさんウインナーはともなくとして、ほかの料理に箸をつければバランスを崩しそうである。キャベツに刺さっている串カツなんて、手をふれるだけで崩壊のきっかけになりそうだ。

「どこからどうやって箸をつければいいのか?」

 まったくもって謎である。

 眠くて眠くてしょうがない。季節の変わり目はいつもこうだ。せっかくの休日のほとんどを寝てすごしてしまった。睡魔に負けて「Halo 3」をプレイしていないとはなんたる屈辱か。

 なかば寝ぼけながらブログの海をさまよっているとおもしろいエントリを見つけた。マジックミラーの見分け方だ。肝心の方法をさっそく引用しよう。

まず鏡がどのように設置されているか確認する。通常の鏡は壁に掛けてあるが、マジックミラーは壁の中に埋め込まれている。もし鏡の後ろに壁があるのならば、その鏡はおそらく通常の鏡だ。
明かりを消して懐中電灯やキーライトの光を鏡に近づける。もしそれがマジックミラーならば、反対側の部屋が照らされるだろう。
目を鏡に近づけ、手を双眼鏡のようにして目の周りを覆い、光を遮る暗いトンネルを作る。こうすることで、反対側の部屋はあなたの部屋よりも明るくなり、鏡の向こう側にあるものを見ることができる。
鏡の表面をノックしてみる。通常の鏡は壁の前に設置されているため、鈍い音を立てる。一方マジックミラーは、反対側にオープンスペースが存在するため、開放感のある、空洞のような残響音がする。

 残念ながら「こっそり」とは調べられそうにない。鏡の表面をノックしたり、照明を落としたりが、かろうじで使えるか。応用方法を考えなければなるまい。できればユニークな。

 マジックミラーの見分け方ではfingernailテストについても言及されている。これも引用。

爪などを鏡に押しつけて調べる方法だ。もし爪とその反射像の間に隙間が無ければ、その鏡はガラスの手前に反射膜をもつ表面鏡(first surface mirror)だということが分かる。表面鏡は極めて高価で通常の環境では利用されない。全てのマジックミラーは表面鏡だが、すべての表面鏡がマジックミラーというわけではない。

 鏡に指をふれたとき、こちらの指と向こうの指がくっついていないことには普段の生活でも気づく。なにやら隙間があるのだ。だが、この方法も鏡に顔を近づけなければならない。おまけに表面鏡だとわかっても、それがマジックミラーだという証明にはならないようだ。

 心の琴線にふれてくるのは「全てのマジックミラーは表面鏡」という点。マジックミラーの仕組み上そうなってしまうのだろう。だが、「全てのマジックミラーが表面鏡とはかぎらない」と仮定すると、ナニかがうまれてきそうである。

 L&Gである。円天である。地上波のニュースでもとりあげられているので名前だけはご存知のかたも多いだろう。

 しかし、円天のシステムが複雑でよくわからないというかたもおられるだろう。そこで、わかりやすく「男性についているナニ」(以下ナニ)に置きかえて説明したい。

 円天とはなにか?

 ナニをL&Gにあずけるとナニの価値と同等の丸めたティッシュがいただける。この丸めたティッシュは会員間であれば通貨として使える。丸めたティッシュの加盟店もあり、丸めたティッシュで食料品や家電品、貴金属を購入できるのだ。加盟店のレジはさぞ臭かろう。

 丸めたティッシュは定期的にもらえるので使ってもなくらない。L&Gにあずけたナニは社員にしごかれているので、丸めたティッシュは増えているのだ。さらに、あずけたナニは元の状態で返してくれるので、丸めたティッシュで手にいれた商品は実質タダということになる。

 で、どうなるかというと、

 まさにウハウハ(死語)パラダイスである。
「円天はあるよ。ここにあるよ」

 だが、L&Gはナニをかえしてくれなくなってしまった。股間がスースーしてこころもとないじゃないか。

 ……。
 不真面目にいえばこの記事のようになるが、まじめな記事はそろそろ円天市場(L&G)について一言いっとくかを参照してくださいね。

霊感と感受性2

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 霊感と感受性1の続き。

 スピリチュアルカウンセラーの江原センセいわく霊感が強いと太る。江原センセの理論をかいつまんで説明すると以下のようになる。

 霊感が強いひとは感受性が強い。
 感受性が強いために「なにか食べたい」という他者の気持ちを受け取りやすい。
 自分が空腹でなくとも食べすぎてしまう。
 ブーデーになる。

 なるほど。霊感と感受性1でもいったが、さすがはスピリチュアルカウンセラーの江原センセ。一部の隙もない理論だ。

 だが、しかしである。他者の気持ちを受け取るというのなら、それは食欲だけにはかぎるまい。睡眠欲だって受信(と書いてもいいだろう)してしまうかもしれない。睡眠欲を受信した場合はどうなるだろうか。

 霊感が強いので感受性も強い。
「寝たい」という気持ちを受信してしまう。
 たっぷり睡眠をとっているにもかかわらず眠くなる。
 眠くて眠くてしょうがない。
 だらだら寝てしまう。
 運動しないから太る。

 あっ、やっぱり太るんだ。霊感が強いと太るということが、別の角度からも立証されまちた。

霊感と感受性1

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 livedoor ニュースでおもしろい記事があった。「[ダイエット通信]霊感が強いと太る?!」だ。

 霊感が強いと太る。
 スピリチュアルカウンセラーの江原啓之センセがおっしゃったらしい。

 なぜ?
 と、だれでも疑問に思うだろう。江原センセの理論はこうだ。

 霊感が強いひとは憑依体質である。
 憑依体質のひとは感受性が強い。
 感受性が強いということは、他人の気持ちを汲む能力にたけている。
「なにか食べたい」という他者の気持ちを受け取ってしまう。
 自分が空腹でなくとも食べてしまう。
 太る。

 さすがはスピリチュアルカウンセラーの江原センセである。一部の隙もない理論だ。

 だが、カン違いしてはいけない。
 太っているからといって必ずしも霊感が強いとは限らないのだ。霊感が強かろうと弱かろうと、あるいはまったくなかろうと、太るひとは太る。太っているからといって霊感があるわけではない。ダイエットがうまくいっていなくとも霊感のせいにしてはいけないのだ。

 霊感がないと自覚していて、ダイエットがうまくいかないかたに、ちょっぴりだけアドバイスしよう。

 ご先祖様の供養をしなさい。

 携帯電話は靴底よりも汚れているの記事によれば、携帯電話の口は靴の底よりもなお汚いらしい。潔癖症の人は知らないほうが幸せな情報とのことだが、なあに、ほんとうに潔癖症なら宇宙服でも着て外気にふれないようにしている。メットが邪魔して携帯電話など使えまい。

 さて、汚い汚い携帯電話の話である。携帯電話は靴底よりも汚れているという記事タイトルであるが、正確にいえば、携帯電話の口が靴の底よりも汚いようだ。口のそばだから水分が付着する。おまけに、携帯電話がほんのり温かいときては、雑菌やばい菌が繁殖するのは当然というところか。もしかしたら、電磁波が繁殖の手助けをしているかもしれない。

 雑菌やばい菌が繁殖するのだから、カビだってわくんじゃないかな。ほうっておけば、キノコだってニョッキリ顔をだすかもしれない。

 もちろん、現実にはキノコがはえるなんてことはないだろう。でも、小説ならありだ。不潔にしていたからキノコがはえました、というのではいくらなんでもだが、ちょっと手をくわえれば説得力もうまれるかもしれない。

 というふうに、小説のネタだけならどこにでも転がっている。

 小説のネタにするための空想です。賭け事とは関係ないぞ。

 前回の「サイコロで必ず6をだす方法(序)」では、6をだしたいのなら6面体サイコロを使うのがベストだと結論づけた。今回のエントリを読む前に参照していただきたい。

 6面体サイコロ(以下サイコロ)を6回振れば1回は6がでる。じっさいに振ると紛れがあるが、この記事では絶対にでると仮定したい。つまり、6をだしたのであれば、サイコロを6回振ればいい。1回は6がでる。

 サイコロで必ず6をだしたいのなら6回振る。

 サイコロを複数回振ることが不可能なら、もうひとつ方法がある。1回振るだけで6をだす方法だ。

 サイコロを6個まとめて振ればいい。どれかひとつは6がでる。

 さて、小説で「サイコロで必ず6をだす方法」を利用するのは、たとえ話がもっとも手っ取り早いだろう。

 なにをやってもうまくいかないキャラクターがいたとする。そのキャラクターに主人公がいってやるわけだ。

「きみはサイコロで6をだそうとするくせに、使っているサイコロは4面体ときた。それじゃあ6はでない。6面体を使わなきゃあ」

 なにをやってもうまくいかないキャラクターは、上記主人公のセリフでなにかに気づくわけだ。

 小説のネタになりそうな空想です。ギャンブルとは関係ないぞ。

 6面体のサイコロだと6回振ったうちの1回は6がでる(じっさいに振ると紛れがあるが、この記事では絶対にでると仮定する)。つまり、確率は6分の1だ。

 では、20面体のサイコロではどうか?

 なんと! 確率は20分の1となる。確率がさがっているのだ。20回振って1回しかでない。サイコロで6をだしたいのなら、20面体のサイコロは使わないほうがいいということになる。

 では、4面体のサイコロではどうか?

 4面体のサイコロでは、そもそも6がない。何回振っても6がでないのだ。サイコロで6をだしたいのなら、4面体サイコロは絶対に使ってはいけない。

 サイコロで6をだしたいのなら、6面体のサイコロを使用するのがベストなのである(ちなみに、4をだしたいのなら4面体のサイコロ、8をだしたいのなら8面体のサイコロがベストだ)。

 さて、前置きは終った。本題はここからだが──次回へ続く。

 小説とは関係ない話である。ゴールデンウィークは道が混んでいた。書店やコンビニ、ショッピングセンターなども大賑わいしていた。しょうじき、うっとうしいくらいだ。

 今日は店の混みようはおとなしかったが、かわりに道の混みようがすごかった。車が長い列をつくってとろとろすすむのだ。なんだったら小説を読みながら運転してもいいくらいだ。もちろん実際にやったりはしない。だが、やってみても大丈夫じゃないかという邪心をいだくくらいにはゆっくりだった。こっちは仕事やねん(>_<) はよ動いてんか、である。

 だがしかし、トラックの運転手のほうがもっといらついているのかもしれない。彼らには何時までに荷物を届けなければならないという制約があるのだ。わたしなんかは「できれば早く進みたい」程度である。重みが違うのだ。

 わたしは音楽をかけて気をまぎらわしているが、トラックの運転手はどうしているのだろうか? 同じように音楽を聴いているのか、ラジオなのか。あるいは別のなにかか。まさか小説を読んではいまい。機会があれば訊いてみたいものである。

鯉のぼらず

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ゴールデンウィークの中核をなすのはこどもの日である。もうすぐ5月5日だ。鯉のぼりがはため──いていない。わたしが子供のころも鯉のぼりがのぼっている家は数えるほどだったが、いまはさらに少ないのではなかろうか。仕事であちこちいくのだが、今年はまだ2本(たぶん、単位はまちがっている^^;)しか確認していない。

鯉のぼりが少ないということは、子供が少なくなったからという理由もあるだろう。だが、鯉のぼりを立てるのが面倒だからというのが、おおきな理由じゃなかろうか。じつは鯉のぼりの実物にふれたことがないのでよくわからない。想像になるが、あんなにおおきくてかさばりそうなのだから、ポールにつけるだけでも手間だろう。片づけるのも大変だ。考えただけで、鯉のぼりを放棄したくなる。

あと10年もすれば、鯉のぼりは幻想物になるのではなかろうか。子供の日にのぼるといわれる鯉。しかし、肝心の子供はだれも鯉のぼりを知らない、みたいな。

いや、ゴキブリホイホイは進化してるのだね。びっくりしたよ。ゴキブリホイホイの実物を見たのは二十年ぶりくらいになる。わたしの知らないあいだに人間対ゴキブリのあらそいも、またかわっていたということか。

進化したゴキブリホイホイには足ふきマットがついている。従来モデルでは、ゴキブリの体に付着したほこりや水気が、ゴキブリを粘着シートから保護する問題があった。足ふきマットのうえをゴキブリがとおれば、埃や水気がとりのぞかれるという。ゴキブリが粘着シートにくっつきやすくなるのだ。

ゴキブリホイホイを購入したのは、ゴキブリがでたからにほかならない。例年よりずっと早い。今年は苦戦の予感がする。発見即デストロイという去年までの戦術は通じないかもしれない。そんな危機感があり、トラップも併用する方法へとスイッチしたのだ。

ゴキブリホイホイを購入するために、格安を売りにするホームセンターへおもむいた。レジそばの一角に、すでにゴキブリコーナーができているではないか。わたしは長年、殺虫スプレーを愛用していたため、トラップ系にはとんと興味がなかった。だが、十種類以上の害虫駆除グッズが陳列されているところを見ると、世の中ではトラップ系が主流だったのかもしれない。ゴキブリホイホイ以外はちょっとお高かったので、無難にゴキブリホイホイを選択したが、べつのトラップを買って試してみるのもおもしろいかもしれない。

ゴキブリホイホイをしかけて、すでに4時間くらいたっているか。いくらなんでも、まだひっかかってはいないだろう。ひさしぶりのゴキブリホイホイなので、ちょっぴり楽しみである。

なぜ「そうなのか」「そうするのか」を考えるとおもしろいときがありますよ、奥さん。

仕事帰りにコンビニによりましてね。家に帰って食事のしたくをするのも面倒なので、夕食を買っていこうと弁当のコーナーをのぞきにいったんですが、まあ聞いてくださいよ若奥様。

弁当コーナー前には男性の客がひとりで立っていました。定年間近か定年直後といったくらいのお歳に見えますね。じっと並んだ弁当を睨んでいるわけです。

それだけならどうということもないのですが、立ち位置がちょっぴりおかしい。弁当から離れすぎているんですね。弁当コーナーのむかいには、惣菜パンがならんだ棚があるのですが、そこに背中がくっついてしまっているのです。弁当を吟味しているにもかかわらず、弁当から最大限距離をとっているのです。ね、奥さん不思議でしょ。

なぜそうするのか考えてみましたよ。いの一番に妥当な回答を思いつきました。たぶん、その距離が目のピントがあいやすいのでしょう。こういうと失礼かもしれないが、その男性は老眼じゃないかと、そう考えたわけなんですよ。

でもね、だとしてもやっぱりおかしい。惣菜パンの棚に背中をつけているんですよ。いい歳をした大人が。邪魔になっていることくらいわかりそうなものです。

常識がないようなかたには見えません。髪型はビシッと整えられていますし、服装も普段着のラフなものではありますが、しっかり洗濯されてアイロンもかけられています。

わたしは男性の前をふさぐようにして、弁当の吟味をはじめましたよ。意地悪とかそういうことではないですよ、若奥さん。弁当を買うためにコンビニにはいったんですよ、わたしゃ。

混んでるコンビでは、ほかの客の視界を横切ったり、ふさいだりしてしまうことがたびたびあります。そういうとき、相手の客はちょっと横にずれたりします。
でも、この男性は違った。微動もしません。表情を盗み見ても、視界をさえぎられたいらだちの色すら見えません。

もしかして、弁当を選んでいるわけではないのでは?

わたしはようやっとそのことに気づけました。不思議に思いながらも、わたしはレジで清算をすまし、コンビニをあとにしましたよ。

──男がなにをしていたのか真相の解明なんてありません。賢明な奥さんに解いていただいて、わたしに教えていただきたいくらいです。