短編小説「漢クリスマスケーキ」修正版

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 クリスマスケーキは泣いた。
 恋人のモンブランがつぶれてしまったからだ。
 同じケーキ職人に作られたとわかり、ふたりは意気投合した。つきあいはじめるのに時間はかからなかった。クリスマスイヴの今日まで、なんの問題もおこらなかったというのに……。
 にもかかわらず、モンブランはつぶれてしまった。店員が段差を踏みはずし、モンブランもろとも床に転倒した。栗もクリームもスポンジケーキもぐちゃぐちゃにまざりあい原型すらとどめていなかった。
 クリスマスケーキは店員の胸倉をつかんで壁へ押しつけた。モンブランをかえせと、血を吐くように叫んだ。店員は目をそらして口を閉ざした。なにもいわない。いえるわけはないのだ。
「そのへんにしておけ」
 店のマスターに肩をつかまれた。
「モンブランなんて星の数ほどいるだろ。別のモンブランを用意してやる。もっと栗の輝きが……」
 マスターの戯言をみなまで聞かず手をふり払った。つぶれたモンブランを抱きあげ無言で出口をぬける。
「おい! クリスマスケーキ!」
 マスターの声が背中にあたった。
「お前はクリスマスのためだけに生まれてきたんじゃないのか! それを放棄するのか!」
 言葉が胸に刺さる。イヴの日にクリスマスケーキが店からでていってどうするというのか。存在理由を自分で否定しているのとかわらない。
 ――なんのために生まれてきたのか。
 それは自問であった。しかし、答えはとうにでていたのではなかったか。
 クリスマスケーキは走った。モンブランを抱いて駆けていく。自棄になったのではない。モンブランを助けるあてを目指しているのであった。
「ひったくりだ!」
 叫び声と同時に周囲がざわめいた。
 前方の人垣を押しのけて、ジャンパー姿の男が姿をあらわした。ブラウンのハンドバッグをつかんでいる。
「どけっ!」
 男の恫喝にクリスマスケーキはすなおにしたがった。まかりまちがってひったくりと乱闘にでもなったら、抱きかかえているモンブランがもっとつぶれてしまうかもしれないから。
 だから、クリスマスケーキはひったくりの進行方向からしりぞいたのだ。
 ただし、右足だけは動かさなかった。
「うおっ!」
 残した足に、ひったくりがつまずいた。もんどりうって倒れる。無防備なわき腹を思いっきり蹴ってやった。
「ふぎゃ!」
 激痛でしばらく動けないだろう。あとは警察の仕事だ。
 はらはらと様子を見守っている初老の婦人がいた。ハンドバックは彼女のものだろう。クリスマスケーキはひったくりからハンドバックを取りあげ、婦人へ手渡した。
「あの……」
 婦人の言葉に片手をあげるだけでこたえ、クリスマスケーキはふたたび走りだした。
 ケーキ職人の元についたのは、それから一○分後だった。
「やるだけはやってみる。保証はできんぞ」
 ケーキ職人のいかめしい顔が、さらにいかめしくなった。しわも深くなる。クリスマスケーキの頼みは、それほどの難題だということか。
「だが、全力でモンブランをよみがえらせてやる!」
 その断言は先の言葉とは矛盾していた。いや矛盾ではない。職人の意気込みであった。
 クリスマスケーキは深々と礼をした。頭をあげたときにはすでに、モンブランと職人の姿は奥の厨房へと消えていた。
 自分にできることはすべてやった――と緊張をゆるめるにはまだ早かった。まだなにかできるような気がした。その感情は錯覚なのだろう。できることなどなにもない。職人を信じて待つしかない。だが、なにかやっていないと心が張り裂けそうだった。
 クリスマスケーキは祈った。いままで祈ったことはない。だが、祈った。それしかできないから。
 扉がひらいた。厨房の扉ではなく出入り口のほうだ。
「やっと見つけたぜ」
 ジャンパー姿の男がはいってきた。さきほどのひったくりである。あの場から逃げおおせたらしい。たいしたものだった。
「リベンジだぜ」
 ひったくりが滑るように走りきた。顔が狂気にゆがんでいる。
 クリスマスケーキはゆるく首をふった。さきほどはモンブランを抱いていた。だから、つまずかせるだけにとどめたのだ。いまは、おのれの身ひとつ。
「うおおおお!」
 ひったくりの拳が空気を灼いて襲いくる。まともにあたればチョコレートでできたサンタの家がふっとぶだろう。その下のクリームも根こそぎもっていかれるかもしれない。
 あたれば、だ。
 クリスマスケーキは悠々と拳をかいくぐった。のみならず、みぞおちに肘を食いこませる。
「うっ」
 と、うめいたあごには渾身のアッパーをおみまいする。
 ひったくりが宙に舞った。放物線をえがき、どうっとばかりに床に落ちる。彼の手足は痙攣していた。白目もむいている。警察がくるまでに目をさましはしないだろう。
「さわがしいの」
 職人の疲れた声にクリスマスケーキは勢いこんで振りかえった。目で問う。
「すまない」
 職人が目をふせた。
 クリスマスケーキはがっくりと片膝をつき、うなだれた。希望の光がとだえたのだ。
「ケーキとクリームの部分はなんとかなったが」
 職人の声に、顔がゆっくりとあがっていく。
「栗がどうしても復元できない。あれがないとモンブランは意識をとりもどせないだろう」
 逆にいえば、栗があれば回復するのだ。
 クリスマスケーキは立ちあがった。無言で礼をし職人に背をむける。その背は職人に告げていた。
 自分が栗を見つけてくる、と。
 漢の背中であった。

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このページは、浅川こうすけが2007年9月12日 22:20に書いたブログ記事です。

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