短編小説「さまよう全裸」

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 最近、おっさんと話していないなと思っていたが、家の前を通って納得した。
 葬式をやっていたのだ。直感で、あのおっさんが死んだのだと理解できた。
 ぼくは喪服を着た人びとから目をそらし、正面だけを凝視して、急ぎ足で通りすぎた。
 角を曲がったあと、首をすくめてうしろをふり返る。おっさんの霊がついてきてやしないかと心配したが、暗い道がのびているだけで、おばけのたぐいどころかひとっこひとりいなかった。
 おっさんにたいして、うしろめたい思いがあるわけではない。ぼくは子供のころから霊感が強く、幽霊にも好かれるようなので、もしやと心配しただけだ。
 徒歩で出社しているぼくは、ほぼ毎日といっていいくらい、あのおっさんと朝の挨拶をかわしていた。決まった時間に家の前に立ち、微笑みながらたたずんでいるおっさんは、だれかがそばを通るたび、「おはよう」と会話の口火をきるのだった。
 定年退職で手持ち無沙汰になり、出社時間にだれかれともなく挨拶するようになったおっさん。
 ぼくはそう理解していた。柔和な雰囲気を漂わせているだけでなく、会話のなかに折り目正しさがうかがえたので、きっと部下には慕われていただろう。
 おっさんの葬式を目撃してから数日は、別の道を通って出社した。遠回りになってしまうが、半透明のおっさんがいつも通りに挨拶してくるような気がして、脚が自然と別の道を選んでいた。
 だが、一週間もたつと、さすがに恐怖も薄らぎ、通いなれた道で出社することにした。
 それでも、首をギプスで固定したみたいに真正面だけを見すえて、おっさんの家を通りすぎる。
 なにもおこらなかった。「おはよう」の声もない。
 幽霊に遭遇しなくてすみ、ぼくはほっとしながらも、寂しさを感じていた。
 脚をとめてふりむいた。家の前にはやはりなにもいなかった。
 おっさんのいたのと同じ場所に立って、同じ方向をむいてしまったのは、だから寂しさを紛らわすためだったかもしれない。
 ぼくは驚きで息を飲んでしまった。霊感が強いせいで、幽霊に遭遇したのは一度や二度ではないが、こんなのは初めてだった。
 道を挟んだ向こう側に、全裸の女が立っていたのだ。半透明なのは幽霊だからだろうが、彼女の肉感的な体に、そうと知りつつ生唾を飲み込んでしまった。
 全裸幽霊は隣り合った家の隙間にいた。左右の壁に肩をこすりつけるようにすれば、ひとひとりがなんとか通れそうなほど細い路地である。
 彼女は顔に笑顔を貼りつけたまま、狭い場所にもかかわらず、器用に踵を返した。おおきな、しかし形のいいヒップをふりながら、しゃなりしゃなりと奥へむかっていく。行きどまりにつくと、右へと曲がった。幽霊特有の能力で壁をすりぬけたわけではなく、路地自体が右に折れているらしい。
 ぼくは上半身をひねって、背後を確認した。全裸に誘われて前に出ていたので、さっきまで立っていた位置が視界にはいってくる。
 おっさんが生前立っていた場所だ。手持ち無沙汰で立っているものだと思い込んでいたが、もしかしたら、女性の全裸幽霊を眺めていただけなのかもしれない。「おはよう」という挨拶も、そうやって視線を自分に集めて、路地のほうへ目をむけさせないためか。
「独占欲」
 ふいに口をついてでた言葉だった。「老いてなお盛なり」とまで声にすれば、「まだ老いたつもりはない」と、おっさんが化けてでてくるかもしれない。
 ぼくは左右を見回して、だれかいやしないか確認した。細い路地にはいる直前に、もう一度、周囲をうかがった。だれかがいれば深追いをやめようと考えていたが、ひとっこひとりいなかった。


 両肩を壁にこすりながら、ぼくは路地の奥をにらんでいた。
 見上げれば、細い空をうかがえただろうが、視線を切るのはためらわれた。得体の知れないものが飛び出てきやしないかと用心しながら、奥をめざしていく。
 余人がいれば、不思議に思うかもしれない。葬式から視線をそらすほど霊を恐がっていたのに、どうして路地にはいったりしたのだろうかと。幽霊の裸に魅入られた、という理由を想像されるとしたらショックだ。もてる男ではないが、そこまで飢えてもいない。
 全裸幽霊に驚いたのは、すっぱだかだったからだけではない。なにも気配がしなかったのだ。
 この世のものではないから当然だといわれるかもしれないが、精霊のたぐいとは違い、幽霊が出現するときには、言葉にはできないなにかしらの気配が発生するのだ。ぼくにはわかる。その気配がなかったので、気になってあとを追っているのだった。
 くり返しになるが、けして色香にまどわされたわけではない。彼女いない暦は二十五年になるが、服を着ていないぐらいで、未知の存在にのこのこついていくほど、すけべではないのだ。
 路地が右に折れる手前で、ぼくは脚をとめた。曲がり角から、そうっと、顔を半分だけだす。下半身はうしろに引きぎみで、はたから見れば情けない姿だろう。
 曲がった道の先には、なにもなかったし、なにもいなかった。細い路地はまっすぐのびて、ブロック塀に突き当たっている。そこから左に曲がっているようだ。
 ぼくは来た道をかえりみた。
 逡巡は五秒ほどだったろうか。脚が奥へ踏み出した。
 道が折れるたびに、なにかいるかもしれないと恐々確認しながら、へっぴり腰で進んでいく。
 そうして、何度か曲がり、そこへ辿りついた。東西南北、四方向を家に囲まれた狭い土地だった。ひろさは二畳ほどだろうか。地図にも載っていなさそうな、小さな空き地である。土地の権利関係がどうなっているのか不思議だった。まわりを囲んでいる家主のだれかが、所有しているのだろうか。
 その空き地には、雑誌がうず高く積もって小山を作っていた。高さは身長を越えるほどもあるだろうか。
 一冊、手にとってみた。表紙には、布地の少ない水着を着た女性が、官能的なポーズをとっている。ページをめくれば、全裸の女性ばかりだった。ほかの雑誌も同様で、服を着ている女性はひとりもいなかった。
 いわゆるエロ本である。
 東側にある家の二階で、カーテンが揺れるのが見えた。
 ぼくは路地に引き返し、かがんで身をひそめた。
 二階の窓がひらき、中学生くらいのにきび面の男が顔をだした。
 なにをするのかと注視していると、彼は雑誌を数冊、窓外に放りだした。エロ本の山に、新たに積もる。
 なにが起こったのか。しばし考えをめぐらした末、ぼくは膝を打った。
 にきび面はエロ本の処分に困り、家の裏に捨てていたわけだ。ここならひと目につかないし、四軒のうちどの家から捨てられたのか判別がむずかしい。
 一冊二冊ならいい考えかもしれないが、さすがに小山になるほど捨てたのでは、いずれおおごとになろう。中学生という勢いのある年頃を考えても、度がすぎていた。
 カーテンが閉まったのを確認してから、ぼくはまた、エロ本山に近づいた。
 全裸の幽霊に誘われて待っていたのがこれでは、納得しがたかった。あの女性の出現は、なにを意味していたのか。
 手がかりの片鱗でもないかと期待し、適当なエロ本を手にとってページをひらいた。
 全裸の幽霊がそこにいた。半透明の体が小さくなっているが、形のいいヒップをふりふり、雑誌のなかでポーズをとっている。
 ぼくはあっけにとられて、口をポカンとあけるしかできなかった。
 全裸幽霊は魅力的な笑みを浮かべてから、紙ににじむようにして消えてしまった。あとには、下着姿の女がぼんやりと立っているグラビアが残るのみ。
 そこでようやっと、ぼくは気づけた。幽霊だとばかり思っていたが、その実、エロ本の精霊だったのだ、と。
 エロ本は見られてなんぼ。だれの目にもふれない場所に打ち捨てられるのは、本望ではないはずだ。だから、だれかの視線が欲しくて、エロ本の精が出現した。
 おっさんも知っていたにちがいない。エロ本の精は、半透明なこと以外、いたって魅力的な裸体なので、失くすのはおしいと思ったのだ。だから、このゴミの山を見逃している。
 ぼくも、おっさんにならおう。
 回れ右をしてきた道を引き返した。これから毎朝、決まった時間に路地の入り口を見つめるようになるだろう。

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このページは、浅川こうすけが2007年10月24日 20:02に書いたブログ記事です。

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