短編小説「カラコルムテンション」

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 清原憲史{きよはらのりふみ}は憤怒の形相で、店員にむかって枕を投げつけた。
 ナノテク技術を取りいれた最新枕が、豊満な胸にあたって跳ねあがる。
「お客様、どうなさいました?」
 店員は動じず、落下した枕をキャッチした。微笑さえ浮かべている。口紅が店舗の照明を反射して、赤く濡れ光った。
 清原は額の青黒くなった痣を指さし、大声でどなった。
「枕のせいだ! まともなのと交換しろ!」


 最近になり、清原はどれだけ睡眠をとっても、まるで寝た気がしなくなっていた。体の疲れはとれているが、睡眠欲が満たされないのはつらいと、頭を抱えていたのだ。
「そういうことで、昨日ここで買ったんだ」
 どなってすっきりしたのか、清原は落ちついた声で説明した。
「それはありがとうございます」
 店員に礼をいわれた。シミひとつない綺麗な笑顔からは、物に動じないぞというオーラがにじんでいた。クレーム処理に慣れていますという印象を受ける。
 ナノテク枕を買ったのは、「夢がふくらむナノテク技術」という売り文句に惹かれてだ。複雑に織り込まれたナノテク繊維が、頭にジャストフィットする助けとなるらしい。
 寝心地はよかった。うとうとしていたところまでは覚えている。その後、眠りに落ちたのだろう。夢を見ていた記憶がある。さすが、「夢がふくらむナノテク技術」である。
 だが、いきなり起こされてしまった。
 頭を強く押されたかと思った刹那、勢いもそのままに、タンスに額をぶつけたのだった。
「当店の枕と関係があるのでしょうか?」
「枕を変えた直後なんだから、関係ないわけないじゃないか。オレが考えるに、枕が元の形に戻った反動ではじかれたんだ!」
「それは大変失礼いたしました」
 店員が頭を下げると、肩で切りそろえられた黒髪が、はらりと流れた。
「ですが、お客様」
 店員が顔を戻しながら、耳のうえに髪をかきあげた。
「そのようなクレームは、ほかにございません。こういってはなんですが、お客様ご自身に問題があるのではないでしょうか?」
「はあ!? 責任逃れか!」
「いいえ、責任からは逃げません。なぜそうなったのかという原因を、責任をもって究明させていただきます」
 店員が不敵に微笑んだ。


 タイトスカートを張りつめさせたヒップが、左右に揺れ動いていた。店員が三脚を立て、ビデオカメラをセットしているのだ。
「念のため、本社に確認をとりました。やはり、同様のクレームはないということです」
「はあ。それはどうも」
 清原が布団のうえであぐらをかき、店員を横目で盗み見ながら返事をした。慣れ親しんだ寝室とは思えなかった。すでに怒りのエネルギーは霧散し、あいたスペースに戸惑いが滑り込んでいた。
 どういう話になったのか。くわしくは覚えていない。店員のペースに巻き込まれ、いつのまにやら、昨夜と同じことが起こるか確認することになってしまった。
 そして、この状態である。
「技術部の者とも話しました。おっしゃるとおり、ナノテク枕の復元力は、人間の頭をはじくぐらいの力があるそうです。ただし、頭が乗っているかぎり、枕が戻ることはない。物理的にありえないと、断言しております」
 ビデオカメラとノートパソコンをつなげ、
「セット終了です」
 と、店員がきっちり膝をそろえて正座した。
「事が起こるまで、ここで待機させていただきます。カメラは検証のため設置しました」
「いや、その」
「さあ! お眠りください」
 静かなる気迫に押され、清原は横になった。店からもって帰ってきた枕に頭をあずける。眠るために目を閉じるが、睡眠天使はいっこうにやってこなかった。まだ午後九時をすぎたばかりなので無理もない。しかも、まぶたを透かして、照明の光が見えるしまつだった。
「店員さん、すみませんが」
 目をあけた清原の眼前に、そろえられた膝頭があった。とまどってそらした視線の先に、店員の微笑が待ち受けていた。
 清原は咳払いを挟んでから、
「眩しいから照明を切ってもいいですか?」
「ダメです」
 にべもなく、ぴしゃりとやられた。
「暗くすると、カメラに映りません。ですが、眠れないというのも問題ですね。しょうがありません。台所をお借りします」
 立ち上がった店員が、隣室へと姿を消した。しばらくして、レンジが「チン」と鳴る。
「お待たせしました」
 鼻腔を甘い匂いにくすぐられた。
「これをお飲みください」
 差しだされたマグカップにはミルクが満たされ、ほんのりと湯気が立っていた。
「体が温まって、すぐに眠くなりますよ」
 清原は店員にいわれるまま、素直にホットミルクを飲んだ。横になり、まぶたを閉じる。
「では、眠くなるまでお話をしましょう」
「はあ」
「確認です。額をぶつけたとき、眠っていたんでしたよね?」
「ええ」
「横になっていただけでしょうか? それとも、完全に眠っていた?」
「うとうとした後でしたし、夢を見ていたような気がするので、眠っていたと思います」
「どんな夢を見ていましたか?」
「よく覚えてませんが、手足をのばしてのびのびしていたと思います。――あの、こんな話をして意味あるんですか?」
「確認という退屈で単調な話なので、眠りやすいかなと思いましたもので。それに、睡眠薬が効くまで間がもちませんし」
 睡眠薬という単語に、清原は跳ね起きようとし――できなかった。思うように動けない。瞼も重い。意識は際限なく希薄に拡散し霧消。
「眠れないということでしたので、さきほどのホットミル――」
 店員がいい終わるよりも早く、清原は眠りの沼に沈んでいった。


 目が覚めたのは、跳ばされた瞬間だった。
 またか! と額を両手でガードしようとするが、起き抜けでは動きがにぶすぎた。緊張で体を固くしたが、想像した痛みはやってこなかった。やわらかく跳ね返されただけだ。
 布団のうえに尻もちをついた清原は、目をしばたたいた。ふくよかな胸をそらした店員が、タンスの前に立っていた。
「まったく、驚きだわ」
 あごに人差し指をあて、何事か考えているふうに、ビデオカメラまで歩いていく。
「映っていれば、いいのだけれど」
 店員はあごからはなした指で、カメラの停止ボタンを押した。
 清原は座り込んだ姿勢で、彼女の動向を見守るしかできなかった。声をかけようとしても、なにをいえばいいのかわらず、喉からは息しかでてこなかった。
 店員がカメラをテレビに接続し終わり、こちらをふりむいた。
「原因がわかりました」
 再生ボタンが押された。
「お客様がどなり込んできたとき、おしゃっていましたね。最近は寝た気がしなくなったと。でも、体の疲れはとれていると」
 モニタの映像は、ミルクを飲んだ直後まで進んだ。
「眠る前の話では、夢を見ていたような気がするとおしゃっていた。手足をのばしてのびのびしていた、と。自由を満喫していたのでしょう――見て、ここからよ」
 清原は唾を飲み込み、画面に見いった。
「うぐ」
 喉から、声にならない声が絞り出された。
「技術部のいったとおりでした。枕に頭が乗っているかぎり、枕が元の形に戻ることはない。逆にいえば、頭が乗っていないとすれば、枕は元に戻るということ」
 モニタの映像では、たしかに枕が元に戻っているのが確認できた。跳ね飛ばされ、店員の胸に跳ね返される自分を見ながら、清原は体を震わした。
「そんな、まさか……」
「信じられないのも無理ありません。ですが、事実です。そして、やはり。枕のせいではなく、あなた自身に原因があった」
 店員はいい終わると、機材を片づけはじめた。手際よくおおきなカバンに収めていく。
「この枕は返品されたほうがいいでしょう」
 店員が枕の代金を置き、かわりに枕を片手につかんだ。
「では、失礼いたします」
 一礼し出ていった。
 静寂が支配する部屋の中、清原は自分が見た映像をもう一度思い出した。
 自分の体から白いもやのようなモノがでて、手足を大の字にひろげるのを。
 体という殻から開放された魂が、のびのびとしている様を。
「夢がふくらむナノテク技術か」
 ポツリつぶやく。
 ナノテク枕は物体としての頭ではなく、魂の頭が離れたことを感知し元の形に戻った。
 清原はそう納得し、ナノテク技術に改めて舌を巻いたのだった。


 店員は機材を所定の部署に返した。
「お疲れ様です」
 労いの言葉をかけてくる担当に、片手をあげてこたえ、更衣室へむかう。その背に、
「ああ、それと三村さん」
 と、担当の渋い声があたった。
「パソコンやビデオカメラは、もっと丁寧にあつかってくださいよ。三脚やらといっしょにカバンにしまってるじゃないですか」
「気をつける」
 三村と呼ばれた店員は、更衣室にはいった。ため息をつきながら服を脱ぎはじめる。
 今日も不良品に関する苦情を処理した。返品を幽体離脱など嘘八百。映像に細工するなどは、パソコンを使えばたやすかった。
 絵空事を躊躇なく口にできるという才。それゆえにクレーム係にされたが、もう疲れた。
 ウソをつくこがではない。
 店員は服をすべてぬぐと、両胸のふくらみをつかんだ。
「肩こるんだよな、これ」
 店員がやおら胸のふくらみをひねった。
 あっけなくとれた。
 さしたる感情の起伏もなく、ヒップにも手をかけ、同じようにむしりとる。手は首のつけ根あたりに移動し、顔の皮をめくっていく。
 光にさらされたのは、男の顔であった。カツラはいつのまにか床に落ちている。
「ふう、すっきりした」
 声も男のものであった。いまはいだ顔は、首のところに変声機がついているのだ。
 バストとヒップはスタイルアップツールで、顔に装着していたものは変装ツールだった。いずれも試作品だが、このテストがうまくいけば、製品化もありうるかもしれない。
 クレーム処理係は女性のほうがやりやすいが、店内でクレーム処理に耐えられる女性はいなかった。返品を受けつけるくらいならだれでもできるが、口コミで不評が広がらないようにするためには経験が必要なのだ。
 本社の開発部から、二種の試作品が届けられたのはごく最近だった。テストをかねて、使用させられているというわけである。
「夢がふくらむナノテク技術か」
 安易に鼻の下をのばせなくなったなと苦笑しながら、店員はつぶやきを落とした。

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このページは、浅川こうすけが2007年11月10日 23:29に書いたブログ記事です。

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