小説「死神の手(仮)」2
高架下から月下へ飛び出た男の体躯は、なるほど、ウェイトリフティングでもやっているかのように頑強だ。上背もあるし筋肉も厚い。男の突進をまともに受ければ一〇メートルくらいは余裕で吹っ飛ばされるだろう。脳震盪はまぬがれまいし、へたすれば骨折だ。
しかし、酒井は余裕の笑みを浮かべた。
どんなに筋肉の壁が厚くとも──
「死神の手には……」
死神の手をだそうとして酒井は動きをとめた。
涼やかな音色に鼓膜をくすぐられたのだ。
チリン、と。どこか遠くで鳴る鈴の音。
気のせいだったかもしれない。それくらい小さな音だった。
酒井がハッとわれに返ったのは、視界いっぱいを筋肉に埋めつくされてからだった。
「あぶっ」
とっさに真横に跳んだ。地面を転がりながら、ぼんやりしていた自分に舌打ちする。身を起こしたときには男がこちらにむきなおっていた。両手を突き出し、また突進してくる。
「ああ、えっと──おい!」
酒井は高架下へ声をかけた。
女がまだへたりこんでいる。
「いまのうちに逃げろ!」
女がはじかれたように立ち上がり、背をむけて逃げ出した。
見届けた酒井は正面にむきなおった。
男が両手を突き出して、一歩踏み出した位置でとまっていた。
「ううぐむ、がぐうう」
喉からは苦鳴がしぼられている。
どんなに筋肉の壁が厚くとも──
「死神の手には意味がない」
酒井の左肩からくらげのように半透明な腕──死神の手がのびていた。4mほど離れた男の胸に吸い込まれるように食い込んでいる。突進をとめた正体はたった一本の死神の手であったのだ。
月光を透かす半透明の腕には関節がなく、腕というよりもチューブといったほうが近いかもしれない。死神の手といわれる所以は、しかし腕の先端部分にこそあるのだった。
「やはりあったな死人の核」
改心の笑みを浮かべた酒井は、男の胸に埋め込まれた球体をさらに強く握った。五本の指すべてに力を込めて。そう、死神の手には五指がはえているのだった。だからこそ手といわれるのである。
カテゴリ
オリジナル小説習作トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 小説「死神の手(仮)」2
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://asakawa.sakura.ne.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/75
コメントする