短編小説「無駄をださずに」

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 ゆうに二人は座れるだろう椅子が、大久保雅也{おおくぼまさや}の体を受けとめて苦しげにたわんだ。同時に発生した音は、一流品の調度に囲まれた部屋にはふさわしくなかった。
 たぷん。たぷん。たぷん。
 脂肪でパンパンに膨れあがった大久保の腹が、座ったショックでいくどもバウンドし、レストランの支配人が特別にしつらえた椅子に悲鳴をあげさせる。
 しかし、大久保の正面に座った折原美奈子{おりはらみなこ}は、それを見て笑うことはなかった。
「今日は好きなだけ食べていいわよ。ただし、明日からはまともな食事はとれないと思ってちょうだい。まあ、言ってみれば最後の晩餐かしら」
 美奈子がいたずらっぽく首をかしげると、肩にのった髪がはらりとたれた。玉子型のほっそりとした顔の中で、涼しげな目と流麗な眉がたれさがる。少し薄めの唇が微笑をうかべているのは言わずもがなだ。
「でも、ほんとにおごってもらっていいんですか? それに予約もしてないのに、よく個室がとれましたね」
 大久保が落ちつかなげに、首の埋もれた頭を左右にふった。一拍遅れて腹が追随し、また、たぷんたぷんと水袋のような音がした。
「ここの支配人とはちょっとした知り合いなの。実をいうと今夜の食事はロハなのよ」
 遠慮するつもりの大久保だったが、ロハだと聞いては張りきらざるおえなかった。運ばれてくる料理に、こうばしい匂いを放つ隙もあたえず、胃袋にすべりこませてゆく。
「明日からはダイエットしなくちゃいけないんだから、今のうちにしっかりと食べて、未練を残さないようにしなさいね」
 美奈子のつぶやきも、大久保のブラックホールに吸いこまれた。


 最後の晩餐の日から明けて翌日。大久保の体重は、確実に五キロは増えていた。これからダイエットを始めようという者の出足をくじくには、十二分の効力を発揮するだろう。
 しかし、大久保は意気揚々としていた。
 それもそのはず。
「さあ、始めるわよ。まずは水泳から」
「食事はわたしが用意するものだけを食べるように」
「ジョギングをさぼっては駄目よ」
「サウナスーツをつけて寝るように」
 完全なるマンツーマン指導によるダイエットは、ここ折原ダイエットセンターの専売特許であった。過去、このセンターに入会し、太ったまま出ていった者はいない。
 しかも、大久保はこのセンターの所長である折原美奈子に、直々の指導をうけているのだ。ダイエットの成功は、約束されたようなものだった。
 その自信が崩れたのは、一ヵ月後だった。
「どうして痩せないんですか?」
「一ヵ月では無理よ」
「ここを紹介してくれた奴は、二週間でスマートになったんですよ」
「そう言われてもねえ」
「やっぱり、ダイエットをはじめる前に、あんなに見境なく食べたせいですかね?」
「あなただけじゃなく、入会した全ての人に、最後の晩餐はうけさせてるわ」
「けど……」
「しょうがないわ。特別室を使いましょう」


 特別室の床には、掘り炬燵みたいな窪みが規則的に並べられていた。
 それらのそばには、伴侶のように樽がつきしたがっている。金属で縁取られた大口から、白い粉の小山がのぞいていた。あれはいったいなんなのだろう?
「今日は誰も使ってないみたいね」
 美奈子が窪みのひとつに近づき手招きするのへ、大久保は腰にタオルを巻いた状態で、たぷんたぷんと地響きをおこしながらしたがった。
「タオルを取って、この窪みの中に寝そべるのよ」
「えっ?」
「いいから、言うとおりにして」
 大久保は真っ赤になりながら言われたとおりにしたが、ナニを手で隠してもじもじしている様は、B級ホラーも真っ青かもしれない。
 窪みは見た目より深く、大久保の巨体もすっぽりと納まった。
「こ、これからどうするんですか?」
「いいから黙ってなさい。ああら、よっこらしょっと!」
 美奈子がおよそイメージとかけ離れたかけ声をあげるや、白い粉を満載した樽が倒れこみ、窪みの縁に大口をピタリとつける芸を見せた。一瞬の間もおかず、吐き出された白い粉が大久保の巨体を埋めていく。
 いや、よく見ると、それは粉というよりも粒であった。
「なんですか、これ?」
 砂風呂のごとく、山の端から顔を出した大久保は、窪みの縁から見下ろす美奈子に訊いてみた。
「企業秘密よ。なんたってわがセンターの誇る最終手段なんですからね」
 にっこり微笑む美奈子に、大久保は満足顔をした。笑顔の下に潜む、絶対の自信を見てとったからだ。この人に任せておけば大丈夫。太ったまま脱会した者はいない。
 二時間後、しかし大久保は後悔した。
「せ、先生……」
「はあひ?」
 ファッション雑誌から顔をあげた美奈子の口には、せんべいがくわえられていた。
 ばりん。
「なあに?」
「気分が悪いんですけど……」
「軽い脱水症状ね。しかたないわよ。あなたの体の中の余分なモノを、急速にとりのぞいてるとこだから。あと十分くらい我慢すれば、ほっそりスマートよ」
「ほんとですかあ?」
 こんもりと腹の形にもりあがった白い粒の山は、しかし低くはなっていなかった。むしろ、水気を含んだためか、二時間前よりも膨らんでいる。
「ほら、十分たったわよ。立ち上がってごらんなさい」
 大久保が身をよじり、ふらふらになりながらも立あちがると、体から白い粒がねっとりと落ちていった。
「おお!」
 自分の体を見下ろした大久保は、そこに神の奇跡を見た。
 首があり、鎖骨が見え、あばらが出ている。
「ほらね、痩せてるでしょ」
「はい! ありがとうございます、先生!」
「見えてるわよ」
 慌てて脱衣場に戻っていく大久保だった。
 彼の引き締まった尻を見ながら、美奈子がおもむろに携帯電話をとりだした。プッシュしたナンバーは、最後の晩餐に使ったレストランのものであった。
「──支配人さん。わたしです。折原です」
「ああ、助かりましたよ、折原さん。もう切れてしまいましてねえ。うちは味でうっておりますから」
「安心してください。たった今、たっぷりとうま味を吸いこんだ塩が、大量に手にはいりましたから」

   (完)

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このページは、浅川こうすけが2007年4月 2日 01:00に書いたブログ記事です。

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