短編小説「補充しなきゃね」
水野昌介{みずのしょうすけ}は陶然とため息をついた。
カウンターに肘をつき、あごを手のひらにのせて、店主のエプロン姿をながめる。ポニーテールが背中で跳ねているのは、フライパンをふっているためだろう。ときおりうなじがうかがえて、そのたびに水野の心臓がおおきく脈打った。
店主とふたりきりだということに、水野の口元がゆるんだ。
大学に近いこともあり、喫茶<慧>は若い学生がよくきていた。店主の木津律子{きづりつこ}とふたりきりになれるというのは、僥倖に近いことだった。
「おまたせしました」
やわらかい声がして、エプロンのすそがひるがえった。木津律子がこちらをまっすぐにむく。
目と目があってしまい、水野は照れて顔をさげた。
エプロンをもりあげる胸に、視線が吸いよせられる。
大きい。
頬が熱くなってきた。
「はい、これがスペシャルメニュー」
といって、木津がカウンターに料理を置いた。
「特製キノコスパゲティです」
木津の楽しそうな声に、水野は巨乳への欲望視線を切った。
料理へとむく。
驚きに目を見張ってしまった。
パスタの山のうえに、これでもかという大きさのキノコがのっているのだ。「特製キノコスパゲティ」というネーミングから、ある程度は大きいだろうと思ってはいた。しかし、予想を遥かに上まわっていた。
「これはとっておきなの」
木津がうれしそうに目を細めた。微笑を浮かべてもいる。
そもそも、木津のほうから「メニューに載せてない特製メニューをだしてあげる」といってきたのだった。いまはふたりきりだから特別に、と。
ふたりの仲は特別だといわれたようで、水野は有頂天でうなずいたのだった。
「いただきます」
水野はフォークにパスタをまきつけ、ソースをからめて口に運んだ。
次の刹那、両目が見開かれた。
舌の上、いや、口中にひろがる、なんと香ばしい味だろうか。極厚ステーキからにじみ出る肉汁に似ているが、はるかに濃厚だ。淡白な味を想像していたが、これはうれしい裏切り行為であった。
「おいしい!」
水野は満面に喜色をたたえ、子供のように目を輝かした。
キノコにも歯をたててみた。やわらかすぎず固すぎず、シコシコとした弾力で楽しませてくれる。先ほどよりも濃厚な味に、口中を支配されてしまうようだった。
水野はじっくりと味わって食べるつもりだったが、しかし口のほうはあっという間にキノコスパゲティをたいらげてしまった。
「ごちそうさまでした。すごくおいしかったです」
「ありがとう」
木津が満足気にうなずいて、上半身をカウンターにのり出してきた。鼻腔が柑橘系の香りに刺激される。
「味の秘訣を教えてあげましょうか?」
木津が下唇をなめ、
「あなただけ特別に」
と、艶然と微笑む。
「奥の部屋に来てくれたら、キノコスパゲティの秘密、教えてあげる」
吐息に耳をくすぐられた。電流が背筋を流れ、水野は身震いした。
誘蛾灯に誘われる蛾のように、ふらふらと木津の背中を追っていく。他の行動は考えられなかった。眼前で揺れるヒップのせいか、頭がくらくらする。
「ここがわたしの寝室」
といって律子がドアを開くと、フローラル系の香りがまろび出てきた。
「さっ、善は急げ」
木津に服をむかれていく。実際にはゆっくりした動作なのかもしれないが、頭が脈打っていて、三倍速で動いているように見えた。
気づいたときには、全裸でベッドに横たわっていた。首をひねって見てみると、ベッドの柱にロープで両手を固定されている。両足も同じ待遇で、×字のハリツケ状態だった。
「あの……」
「──まだ起きてたの?」
視界が木津の笑顔でうまった。
「睡眠薬の効き目がうすかったみたいね」
「すい、みん、やく?」
「そう。料理にまぜておいたのよ」
水野は「なぜ?」と訊こうとしたが、舌が痺れてうまくしゃべれなかった。
「約束どおり味の秘密を教えてあげる。あのキノコ自体が重要なの。だけど、入手が困難なのよね」
木津が肉切り包丁を真っ赤な舌でなめあげた。
「さっきのは、五年前から保存してたのを使ったのよ。使ったら、ちゃんと補充しなきゃね」
恐怖に縮こまった息子に、木津がギラギラ輝く包丁を近づけた。
水野はもがいたが、ロープが食いこんだだけだった。
満面に笑みをたたえた律子が、安心させるみたいにささやいた。
「痛くないようにするから大丈夫。五年前、わたしのを切り取ってくれたモロッコの医師に、ちゃんと教えてもらったんだから」
(完)
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