短編小説「漢クリスマスケーキ」
クリスマスケーキは泣いた。
一ヶ月前からつきあっているモンブランが、店員の不注意でつぶされてしまったからだ。
意地っぱりで甘えん坊のモンブランは、店員の手からすべり落ちたお盆によって、おおきく形をつぶしてしまっていた。もう、あの笑顔では語りかけてくれない。
おりしもクリスマスイヴで、街は浮かれざわついているときであった。
クリスマスケーキは泣きながら店員の胸倉をつかみ、壁へと押しつけた。
オレのモンブランをかえせと、血を吐くように叫んだが、店員は目をそらして口を閉ざしているだけだった。
「おい、クリスマスケーキ。そのへんにしておけよ」
マスターの声に、クリスマスケーキは店員を解放してやった。
「いつまでもこだわるんじゃない。モンブランなんて星の数ほどもあるだろう。ほら、こっちのモンブランのほうが栗の輝きが……」
マスターの説得をみなまで聞かず、クリスマスケーキはつぶれたモンブランをその腕にだくと、脱兎のごとく店をでた。
ちょうどガラス扉をくぐった客が、何事かとふりかえったが気にしなかった。
「おい、クリスマスケーキ!」
マスターの声が背中にあたった。
「お前、クリスマスのためだけに生まれてきたんじゃないのか! それを放棄するつもりか! せっかく二十世紀最後のクリスマスケーキになれたのに!」
マスターの声が、耳にいたい。存在理由を自分で否定しているのだから。
いや、違う。
クリスマスに食べられるために生まれたのではない。この腕に抱くモンブランとすごすために生まれてきたのだ。
クリスマスケーキは走った。
モンブランを胸にだいて走った。
自棄になったのではない。モンブランとのたのしい日々を再開するためのあてが、たったひとつだけあり、そこをめざして駆けているのであった。
モンブランと仲良くなれたきっかけは、おなじケーキ職人に作られたという共通点があったらだ。あのケーキ職人にならば、このつぶれたモンブランを再生することができるかもしれない。いや、きっとできるはずだ。
クリスマスケーキは交差点を右にまがった。
「ひったくりだ!」
通行人の声が、まず聞こえた。
そして、なんにんかの悲鳴。
前方の人垣を押しのけるようにして、黒いジャンパー姿の男が駆けてきた。手にはブラウンのハンドバッグをつかんでいる。
「どけえ!」
男の叫び声に、クリスマスケーキはすなおによけた。ぶつかって、抱きかかえているモンブランがもっとつぶれてはたまらない。
ただし、片足だけは動かさなかった。
「うお!」
クリスマスケーキの足につまずいた男が、もんどりうって倒れた。
苦鳴がきこえる前に、クリスマスケーキは男の右足を思い切りふんづけた。
「ふぎゃ!」
骨折はせずとも、かなり痛いはずだ。すぐには逃げだせないだろう。
クリスマスケーキは男からハンドバックを取りあげ、前方から走ってきたご婦人に手渡した。
「あの……」
ご婦人の言葉に片手をあえるだけでこたえ、クリスマスケーキはふたたび歩きだした。
ケーキ職人の元についたのは、それから五分たってからだ。
初老にたっし、髪の毛に白いもののまざった職人は、はじめ難色をしめした。
クリスマスケーキの強い説得の前には、まったく意味をなさなかったが。
「やるだけはやってみよう」
その言葉を残して、ケーキ職人は奥の厨房へとひきこんだ。
ストゥールに腰かけ、クリスマスケーキはため息をついた。
自分にできることはすべてやった。ケーキ職人にまかせるしかない。あとできることといえば、神に祈るのみだ。いや、いまなら、サンタクロースにたのめばかなえてくれるのか。
二十世紀最後のクリスマスケーキだという自負も、なにもなかった。
クリスマスケーキは、ただ、祈った。
扉のひらく音がした。
厨房の扉ではなく、出入り口のほうだった。
「見つけたぜ」
黒いジャンパー姿の男――さきほどのひったくりであった。あの場からは、逃げおおせたらしい。たいしたものだ
「リベンジ、だぜ」
男がつっかけてきた。
クリスマスケーキはストゥールからおりながら、首をふった。
さきほどは、モンブランを抱いていた。だから、つまづかせるだけにとどめたのだ。
いまは、おのれの身ひとつ。
「うおおおお!」
ひったくりの拳が、空気を灼きながら襲いきた。
まともにあたれば、チョコレートでできたサンタの家がふっとぶだろう。その下のクリームも、根こそぎもっていかれるかもしれない。
あたれば、だ。
ひったくりの拳があたったのは、空気にのみ。
クリスマスケーキ、すでに、ひったくりのふところにはいっていた。
みぞおちに、肘打ちをくらわせる。
「う」
という、うめきが落ちてくるよりも早く、ひったくりのあごにアッパーをおみまいする。
黒いジャンパー姿が宙に舞った。
ひったくりが放物線をえがき、どうっとばかりに床に落ちた。
白目をむき、完全に気絶していた。
厨房のドアがあいたのは、次の刹那だった。
クリスマスケーキはふりむき、職人に目で問うた。
職人は目をふせて、首を左右にふった。
「すまない。わたしでは……」
クリスマスケーキは片膝をついた。
希望の光はとだえたのだ。
「ケーキとクリームの部分はなんとかなったが」
職人の声に、クリスマスケーキは顔をあげた。
「栗がどうしても復元できない。あれがないと、モンブランは意識をとりもどせないだろう」
逆にいえば、栗があれば回復するということであった。
クリスマスケーキは立ちあがり、無言で職人に背をむけた。
その背中は、職人につげていた。
自分が栗を見つけてくる。そのあいだ、モンブランをたのむと。
漢の背中であった。
カテゴリ
短編小説トラックバック(1)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 短編小説「漢クリスマスケーキ」
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://asakawa.sakura.ne.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/125
短編小説「漢クリスマスケーキ」と短編小説「漢クリスマスケーキ」修正版(以下、修... 続きを読む
コメントする