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「教える義理はないですな」
 返事はつれない。
「義理はない、か」
 酒井は苦笑を浮かべた。自分が生ける死人にむかって口にしたのと同じ言葉だったからだ。
「ナイスです、室井!」
 斧少女が高架下から躍りでてきた。
 銃を構えたまま微動もしない男は、どうやら室井というらしい。彼は白髪のまじる髪をオールバックにしている。月明かりだけでははっきりしないが、黒い燕尾服を着ているらしかった。顔に刻まれた皺から六十歳は越えていると推測ができる。しかし、肌の張りだけをとれば三十歳でも通用しそうだった。
「室井、もうひとりの敵は?」
 斧少女が斧を構えながら室井に問うた。目は油断なく酒井にむけられている。
「もうしわけありません。逃げられてしまいました」
「しかたありません。ふたりもあらわれるとは思いませんでしたから」
「ちょいっといいかい」
 酒井はふたりの会話にわりこんだ。
「たぶん、だが。おたくら誤解してると思うぞ」
「なんの誤解ですかな」
 室井が低い声でいった。斧少女と話しているあいだも、たったいまも、銃口は微動もしていない。腕を地面と水平にかまえるのはカンタンだが、持続するのはあんがい難儀だ。だというのに、こうもピタリと決まっているとは。ただものではないという証左か。

 斧少女が高架下へ顔をむけるのを確認するまでもなく、お嬢様とは彼女をさした言葉だろう。
「まさか!」
 酒井は生ける死人の姿を探した。いない。舌打ちひとつ身をひるがえす。高架下へむかって全速力で走り出した。
「待ちなさい!」
 斧少女の声が追ってくる。
 彼女が生ける死人かどうかはわからない。
 カンは違うといっている。だが、判断をあせるとろくなことがない。いまは斧少女の氏素性を知るよりも、生ける死神だとはっきりしている男を追うべきだった。
「待ちなさいっていってるでしょ!」
 怒気を含んだ声がひっきりなしに背中を叩いてくる。距離がひらかない。重い斧を持っているはずなのに……。たいした足腰の強さだった。
 高架下にはだれもいなかった。酒井は足をとめず反対側へと抜けた。
 痩身長躯の男が立っていた。逃げた男とはシルエットが異なっている。さきほど「お嬢様」と叫んだ人物だろう。
「とまれ!」
 男が両手を地面と水平にあげた。灯りの少なさに目がなれたのか、銃口をむけられていることはすぐにわかった。
 酒井は両手をあげた。銃が恐かったわけではない。ほかに人影、つまりは逃げた男の姿がなかったからだ。
 しくじった。
 内心はそう確信していたが、あきらめきれずに、
「男はどっちへ逃げた?」
 と、銃を構えた男へむかって訊いてみた。
「教える義理はないですな」
 返事はつれない。
「義理はない、か」
 酒井は苦笑を浮かべた。自分が生ける死人にむかって口にしたのと同じ言葉だったからだ。

 よけられない。
 瞬間的に確信した。
 巨大斧の一閃は脳天に深く食い込み、赤い飛沫をはじき飛ばすだろう。夜の世界を睥睨する三日月さえ、その未来を疑いはすまい。
「あっ」
 斧少女が驚愕に口をひらいた。
 酒井の左肩からのびた死神の手が、斧の腹を叩いたのだ。軌道のそれた刃が地面に深々と刺さった。
「半分にちょん切られていても、これくらいには使える」
 そして、斧が腕を切れるということは、死神の腕も斧にふれられるという理屈だった。
「おしかったです」
 少女が斧を手にしたまま軽々と跳び、また距離がひらいた。斧は地面に刺さっていたはずだが、まるで苦にせず抜いていた。重さも気にならないようである。
「おいおい。さっきまで斧にふりまわされてたっていうのに、急に軽々と持ち出したな」
 火事場のくそ力、というわけでもなさそうだった。
「油断させるつもりでしたのに、思うようにはいきませんね」
 少女の声は涼しげではあったが、強くひきむすんだ唇からはくやしさがにじんでいた。
 つまりは、重い斧を扱いきれていないように見せて油断させ、ここぞというときに本来の力をだす作戦だったということだろう。
「まさか戦いの最中に胸にさわられそうになるとは思いませんでしたので、とっさに体が反応してしまいました」
「おい、オレは」
 酒井は慌てて弁解しようとした。
 癇癪玉のはじける音に続く言葉を飲み込んだ。
 いや、癇癪玉ではない。拳銃の発砲音であった。一発ではなく連続で鳴った。
「お嬢様!」
 低音だがよく通る男の声が高架下からした。
「こちらにも敵です!」
 斧少女が高架下へ顔をむけるのを確認するまでもなく、お嬢様とは彼女をさした言葉だろう。

 斧をよけながら酒井は首をひねった。今夜この場所に生ける死人があらわれるというのは、未来予知によってわかっていた。予知から十五分遅れたが、それくらいのずれはいつものこと。珍しくはない。だが、死神の使いになってから今日まで、勤務中に邪魔されたのははじめてだった。
 未来予知では、死神の使いが生ける死人と遭遇する時間と場所がわかるのである。逆にいえば、時間と場所しかわからない。遭遇のシチュエーションや、ターゲットの人数などはまったくわからないときている。生ける死人たちは単独で行動するので問題にならなかったし、酒井も同僚も気にしていなかった。
 生ける死人同士で助け合ったりするとは考えづらかったが、いま相対している斧少女もターゲットかもしれなかった。たしかめる方法はひとつだけ。死神の手で核を探すのだ。
 酒井は振り下ろされる斧をかいくぐり、右肩から死神の手を出現させた。実物の手と同じで二本あるのだった。
 斧少女の胸へむけまっすぐにのばす。
 彼女は斧を振り下ろした反動で動けない──はずだった。
 死神の手が空をつかんだ。
 視界の外で空気がうなった。少女が斧を振り上げたのだと直感で理解する。
 酒井が少女のほうをむいたのと、巨大な斧が振り下ろされたのは同時だった。
 速い! と電気信号的な思考が舌を巻いた。死神の手をよけられたときもそうだが、斧を振り下ろす速さもいままでのおっとりスピードとはくらべるべくもなかった。
 よけられない。
 瞬間的に確信した。

 体格と比例するように顔も小さく、陶器を思わせるような滑らかな肌だった。涼やかな目元には力がこもり意思の強さを伝えている。スカートと同じで動きやすさに重きを置いているのか、髪型はショートカットであった。脱色したり染めたりせず黒髪のままなのは、夜闇にまぎれやすくするため──と、これはさすがにうがちすぎか。
 彼女や斧について訊きたいことは山ほどあったが少女は戦う気満々だ。問いかけてもすべてには答えてくれまい。まずはもっとも重要な疑問を確かめるべきだった。
「貴様、その男の──」
 仲間か? と問おうとしたが、
「問答無用です!」
 斧の一振りにさえぎられた。
 跳び退ってかわす。
 不意を突かれさえしなければ、少女の振る斧など脅威でもなんでもない。
 おそらくは、自身の小さな体をカバーするために重い斧を武器として使用しているのだろう。だが、小さな体で巨大な斧を振ろうとしているので、どうしたって予備動作がおおきくなる。スピードがのるのにも時間がかかる。あきらかに武器のチョイスミスだ。
 斧をよけながら酒井は首をひねった。今夜この場所に生ける死人があらわれるというのは、未来予知によってわかっていた。予知から十五分遅れたが、それくらいのずれはいつものこと。珍しくはない。だが、死神の使いになってから今日まで、勤務中に邪魔されたのははじめてだった。

 乱入してきた人影は斧を地面から抜いていた。
「切られたのか。その斧で……」
 絶句するしかなかった。死神の手はこの世の物体に接触されないはずではなかったか。
 では、あの斧はこの世のものではないということになる。
「貴様なにものだ!?」
 酒井の誰何に緊張感が込められているのもむべなるかな。
「それを訊くのはわたしのほうです。いえ、訊く必要はありませんね」
 乱入者が斧を肩口で構えた。
 三日月のはかない光が銀色の斧に反射し、乱入者──彼女の体を照らしていた。巨大な斧には似合わない小柄な体型で、学校の制服だろうセーラー服を着ていた。動きやすさを考慮してかスカートは短く、白いふとももが半分くらいのぞいている。
「奇妙な特技をお持ちのようですが、わたしにも通用しますかどうか」
 彼女が間合いをはかるように、じりじりとすり足で近づいてくる。斧の角度がかわったためか跳ね返る光が頭部にあたった。
 体格と比例するように顔も小さく、陶器を思わせるような滑らかな肌だった。涼やかな目元には力がこもり意思の強さを伝えている。スカートと同じで動きやすさに重きを置いているのか、髪型はショートカットであった。脱色したり染めたりせず黒髪のままなのは、夜闇にまぎれやすくするため──と、これはさすがにうがちすぎか。

 酒井は首をひねった。考え事をするときの悪癖で、敵からも考え中だと看破されてしまうため、上司や同僚からは治せといわれ続けていた。たぶん、これからもいわれ続けるだろう。
「じゃあしょうがない。取り引きはな──」
「たああああああ!」
 裂ぱくの気合が夜空に響き渡った。月光を背中に受けて黒影の人物が舞い下りてくる。
 その人物は、銀色に輝く巨大な斧を頭上にかかげていた。
「はあ!」
 酒井と男の中間点に着地すると同時に斧が振り下ろされる。月光を跳ね返す銀色が弧を描き、死神の手をないだあと地面に深く食い込んだ。
「いでええええ!」
 悲鳴を迸らせたのは酒井であった。なにがおこったのかわからなかった。突然、体の中心で激痛が爆発したのだ。
 だが、痛みはすぐにひいていった。まるでなにごともなかったかのようだった。酒井は激痛に閉じていた目をうすくあけ、直後おおきく見開いた。
 死神の手がなくなっていたのだ。正確にいえば、とちゅうから千切れてしまってそこから先はどこにも見えなかった。消滅してしまったようだ。
 乱入してきた人影は斧を地面から抜いていた。
「切られたのか。その斧で……」
 絶句するしかなかった。死神の手はこの世の物体に接触されないはずではなかったか。

 たしかに、死神の手には酒井自身ですらさわれない。だが、いや、だからこそ、死神の手はこの世にある物体にはふれられないのだ。4mくらいまではのびるが冷蔵庫を物色することすらできない。DVDプレイヤーのディスクを入れ替えるためには、プレイヤーまで歩いていかなければならない。死神の手は、たったひとつの目的以外には、まったく使い道がないのだった。
 死神の手が接触したりされたりできるのは、この世にない物体だけだった。そのひとつが死人の核である。死人の核を破壊することが、死神の手のたったひとつの使い道であった。
「オレたち死神の使いや死神の手を知ってるってことは、埋め込まれた死人の核についても知ってるって考えていいな」
「お、教えて、も、もらった。いろ、いろ」
「そいつのことが知りたい。どんな奴だ。男か女か? いや、第三の性別って可能性もあるな。どうなんだ?」
「し、死人の核をもらうとき、口止めされた」
「義理立てすることもないだろ。いっちゃえよ」
「俺、やばい金、持ち出して、こ、殺されかけ、いや、殺された。それを、助けてくれた。ぎ、義理はある」
「──いっておくが、貴様は死んでるままだぞ。死人の核が体を動かしてるだけだ」
「し、知ってる。それでも、俺……」
 酒井は首をひねった。考え事をするときの悪癖で、敵からも考え中だと看破されてしまうため、上司や同僚からは治せといわれ続けていた。たぶん、これからもいわれ続けるだろう。

「とにかくオレは貴様に同情しない。同僚のなかには情けをかけてできるだけ早く死人の核をつぶすやつもいるが、オレはそういうのは嫌いだ。だから、これからいうことは取り引きと思ってくれ」
 死神の手をゆるめる。ただし、ほんの少しだけ。
「貴様に死人の核を埋め込んだやつのことを吐け。そうすれば、苦しまないようひとおもいにとどめをさしてやる。吐かなければ──じわじわ苦しめながら破壊するぞ」
 酒井はせいぜい意地悪く見えるように唇をゆがめた。
「な、るほど。お前、死神の使い、か」
 男がとぎれがちに言葉をついだ。
「なら、こ、これは、死神の手、か。む、むかつく」
 男が死神の手をつかもうとするが、筋肉質の手はすり抜けるばかりだった。
「ほい残念。死神の手はさわれません」
 酒井はおどけていいながら内心では苦笑をもらした。さわれないってことは役立たずって意味でもあるけどな、と日ごろの考えが頭をもたげたのだ。
 たしかに、死神の手には酒井自身ですらさわれない。だが、いや、だからこそ、死神の手はこの世にある物体にはふれられないのだ。4mくらいまではのびるが冷蔵庫を物色することすらできない。DVDプレイヤーのディスクを入れ替えるためには、プレイヤーまで歩いていかなければならない。死神の手は、たったひとつの目的以外には、まったく使い道がないのだった。

「やはりあったな死人の核」
 改心の笑みを浮かべた酒井は、男の胸に埋め込まれた球体をさらに強く握った。五本の指すべてに力を込めて。そう、死神の手には五指がはえているのだった。だからこそ手といわれるのである。
「うぐむぅ」
 急所をつかまれて苦しいのだろう。男がまた苦鳴をもらした。血の気が失せた顔には脂汗が滝のように流れている。
 死人の核にヒビがはいった。
「がわっ!」
 男の体が跳ね、脂汗が飛び散った。
「貴様にかける同情はない」
 酒井は声に感情を込めずにいった。
「どういう経緯で死人の核を埋め込まれたのかは知らないが貴様は生者を襲った。それこそが貴様の罰。罪を受けなければ……」
 続く言葉を飲み込んで首をひねった。
「ん? 罪と罰の使い方が逆か? ふむ、受けるべきは罰だったか?」
 首を反対側にもひねり、しばし考える。そうしながらも死神の手をゆるめず、死人の核にできるヒビを増やしていた。男が苦痛に耐える声をもらし敵意ある視線を送りつづけているというに、どこ吹く風である。
「なんでもいいや」
 やがて、酒井は晴れ晴れといった。
「とにかくオレは貴様に同情しない。同僚のなかには情けをかけてできるだけ早く死人の核をつぶすやつもいるが、オレはそういうのは嫌いだ。だから、これからいうことは取り引きと思ってくれ」

 高架下から月下へ飛び出た男の体躯は、なるほど、ウェイトリフティングでもやっているかのように頑強だ。上背もあるし筋肉も厚い。男の突進をまともに受ければ一〇メートルくらいは余裕で吹っ飛ばされるだろう。脳震盪はまぬがれまいし、へたすれば骨折だ。
 しかし、酒井は余裕の笑みを浮かべた。
 どんなに筋肉の壁が厚くとも──
「死神の手には……」
 死神の手をだそうとして酒井は動きをとめた。
 涼やかな音色に鼓膜をくすぐられたのだ。
 チリン、と。どこか遠くで鳴る鈴の音。
 気のせいだったかもしれない。それくらい小さな音だった。
 酒井がハッとわれに返ったのは、視界いっぱいを筋肉に埋めつくされてからだった。
「あぶっ」
 とっさに真横に跳んだ。地面を転がりながら、ぼんやりしていた自分に舌打ちする。身を起こしたときには男がこちらにむきなおっていた。両手を突き出し、また突進してくる。
「ああ、えっと──おい!」
 酒井は高架下へ声をかけた。
 女がまだへたりこんでいる。
「いまのうちに逃げろ!」
 女がはじかれたように立ち上がり、背をむけて逃げ出した。
 見届けた酒井は正面にむきなおった。
 男が両手を突き出して、一歩踏み出した位置でとまっていた。
「ううぐむ、がぐうう」
 喉からは苦鳴がしぼられている。
 どんなに筋肉の壁が厚くとも──
「死神の手には意味がない」
 酒井の左肩からくらげのように半透明な腕──死神の手がのびていた。4mほど離れた男の胸に吸い込まれるように食い込んでいる。突進をとめた正体はたった一本の死神の手であったのだ。
 月光を透かす半透明の腕には関節がなく、腕というよりもチューブといったほうが近いかもしれない。死神の手といわれる所以は、しかし腕の先端部分にこそあるのだった。
「やはりあったな死人の核」
 改心の笑みを浮かべた酒井は、男の胸に埋め込まれた球体をさらに強く握った。五本の指すべてに力を込めて。そう、死神の手には五指がはえているのだった。だからこそ手といわれるのである。

 男と女が争いながらもつれあっていた。
 三日月のはかない光が斜めに差し込み、高架下をかすかに照らしている。男のシルエットはかなり大柄で、女の抵抗などものともしていなかった。
「予知より──ふん、十五分遅れだな」
 携帯電話で時刻を確認しながら、酒井メグルは中身の残るアルミ缶を男にむかって投げた。コーヒーの飛まつを飛ばしながら放物線を描き、男の頭上をすぎて高架の支柱にあたる。
「ありゃ、失敗」
 酒井は鼻の頭をかいた。
「なんじゃおら!?」
 男の野太い声がコンクリートの支柱にあたって反響する。狩りを邪魔された苛立ちと怒りが、たっぷりと込められていた。
 女の反応は男よりも鈍かった。一拍遅れて、
「た、助けて!」
 男の気がそれているすきに逃げればいいものを、と酒井は小さくごちた。
 女にとって運がよかったのは、男がもう見向きもしなくなっていたことだ。大柄な黒いシルエットは、赤く光った目を酒井にだけむけていた。
「邪魔してんじゃあねえぞおおお!」
 吠えながら突進してくる。女を人質にとるつもりはないらしい。突然わいてでた邪魔者より自分のほうがはるかに強いとカン違いしているのだろう。
 高架下から月下へ飛び出た男の体躯は、なるほど、ウェイトリフティングでもやっているかのように頑強だ。上背もあるし筋肉も厚い。男の突進をまともに受ければ一〇メートルくらいは余裕で吹っ飛ばされるだろう。脳震盪はまぬがれまいし、へたすれば骨折だ。